
「人事屋」からどう抜け出すか。Shippio伊達氏が語る、事業と経営の交点に立つ人事
人事制度が綺麗に整ったからといって、事業が伸びるとは限らない。
そう語るのは、エン・ジャパン(現エン)で人事と新規事業の責任者を歴任し、弁護士ドットコムではクラウドサインの急成長期を組織面から支えてきた、Shippio VP of HRの伊達雄介氏だ。
約20年の現場で見てきたのは、エンゲージメントや離職率の改善、そして人事施策のユニークさが人事の成果として語られていく構造への違和感だった。
「人事屋」から抜け出した先で伊達氏が立とうとしているのは、事業と経営の交点だ。その選択の背景にある持論を聞いた。

株式会社Shippio VP of HR/株式会社事業人 共同創業者
2006年エン・ジャパン(現エン)入社。営業、経営企画を経て、人事制度改訂プロジェクトの起案を機に人事へ移り、人事企画マネジャー、人事責任者、新規事業責任者を歴任。2018年弁護士ドットコムに参画し、約100名規模から人事の立ち上げを担う。在籍中、急成長期を人事面から支え、退職時の組織規模は約500名。同時期に株式会社事業人を5人の共同代表で創業し、複数のスタートアップの人事支援に携わる。2023年10月よりShippioに参画し、現職。

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人事の仕事は、人や組織の力で、事業の成長にどれだけ貢献できるか。これに尽きると思っています。
エンゲージメントスコアの向上、離職率の低下、組織の安定性。こうした指標が人事の成果として語られるシーンに、私は違和感を覚えています。
もちろん、社員が健康的に生き生きと働ける状態は、組織にとって必要です。ただそれは、事業を伸ばしていくための、いわば組織のOSにあたるもの。経営の仕事が事業を前に進めることだとすれば、人事はそのための手段の一つにほかなりません。にもかかわらず、OSが安定していること自体が成果として語られ、前提と目的がどこかで入れ替わってしまっているのです。
人事と事業の間に本来垣根は存在しないと感じます。だからこそ、人事の主語を、事業に置く。
日々の業務目標を達成したからOK ということではなく、経営チームの一員として、事業や会社が目指していることをどう実現するか。そこを出発点にして、人事という機能を当てていく感覚です。

なぜそう考えるのか。複数の会社を見てきて、人事に対する意思や取り組みが非常に素晴らしいものの事業が伸びていない会社と、逆に人事に対する取り組みをある意味意識していなくても事業が伸びている会社の対比を、何度も目にしてきたからです。

人事の取り組みの充実度と事業の成長は、必ずしも比例しません。「人を大切にする」という方針を掲げるにしても、それをどんな打ち手で実現するかは、立ち上げ期・急成長期・成熟期で変わってきます。急成長期に本当に時間を割くべきは事業の成長そのものなのに、組織を安定させようと制度設計やその運用に時間をかければ、かえって事業成長のスピードを止めてしまう。
離職率についても、低いほうがいいとは言い切れません。ビジネスモデルやフェーズによっては、人の入れ替わりが、事業やそこで働く人にとって必要な場面もある。それを踏まえずに離職率の低下を絶対的な成果と見なしてしまうのは、少し違うと思ってしまいます。
同じことは指標だけでなく施策にも言えます。他社の人事の方からよく、「ミドルマネジャーが機能していないので、研修を入れたい」という相談をいただくことがあります。ただ紐解いていくと、ミドルマネジャー自身が問題なのではなく、もっと上段の戦略の設計が甘かったり、その戦略をミドルマネジャーが理解できる状態を作れていなかったり、問題の根っこが別の場所にあるケースが多い。
その場合の対策として、ミドルマネジャー向けの研修も有効かもしれませんが、より優先的に着手すべき手段は別にあります。どうしても研修が必要だ、という思考で企画を練っていくと、それありきになっていきます。つまり、目的が「戦略を届けること」から「研修を実施すること」にすり替わってしまうということです。
もちろん研修は導入の仕方次第では非常に有効です。世の中には、いわゆる「あった方がよい」人事施策があふれています。一方、その施策と、自社にとっての「なくてはならない」施策が一致するとは限りません。
事業目標の達成から逆算して、自社のマストハブを決めきる判断軸を、人事の長が持ち続けられるか。そこに尽きるのだと思います。

人事は、やりがいを感じやすい仕事でもあります。
社員の相談に乗り、悩みや迷いが整理され、「話せてよかったです」と感謝される。こうしたやり取りを通じて、社員が活力をもって自身の仕事に向き合えるようになる。これ自体は、人事の仕事の大切な一面ですし、手応えを感じる瞬間でもあります。ただ、その手応えが事業の前進にどうつながっているかを意識しないままでいると、人事の仕事はそれ自体で完結してしまいやすい。
これは誰かを責める話ではなく、私自身がいつも気をつけていることです。
もう一つ気をつけていることは、「人事が人事の当たり前」で物事を見過ぎないようにするという視点です。時としてそれは、単なる人事のエゴでもあると感じている部分です。

この問題意識を強く持つようになったのは、かつての経験からです。
自分自身、急成長する組織の人事責任者として、そして、組織を支援する立場として、様々な企業をみてきました。その中で取り扱うテーマとして多かったのは、ミドルマネジャーの選任でした。
私は人事の立場として、適切な目標設定やフィードバックを行い、組織をケアできる人物を推奨していました。
マネジメントアクションの不足によってメンバーの不満が溜まっていることに、危機感を抱くシーンが多かったからです。
一方、ある会社の事業責任者は、プレイヤーとして実績のある社員を積極的にマネジメントへ引き上げていく方針で、私には、現場の綻びを無視した危うい登用に見えていました。
ところが実際には、組織が多少痛みつつも事業は伸び続けていく。そして、当時その事業を担当していた皆さんは、いまもそれぞれの場所で重要な役割を担い、キャリアを築いています。
当時の私の人事観に立てば「壊れていくはず」の組織が、目の前でグングン伸びていく。この状況に、自分の人事としての当たり前が当たり前ではない、ということを突きつけられました。

何年か経って振り返ったとき、自分はあのとき、いわば「人事屋」だったのだと気づきました。会社の優先順位とは別の場所で、人事のセオリーを主語にして主張を組み立てていた。
以前の所属先は事業が安定していたから、管理的な人事として制度を整備する余裕があったのでしょう。そのことに気づかないまま、自分の人事観を絶対視していたのです。
エン・ジャパン(現エン)の創業者がよく引用していた、二宮尊徳の言葉があります。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
ミッションやビジョンの大切さを語りながら、同時に利益を出していることの重みを並べて語る人でした。その言葉が、いまの私の人事観の底に、確かに流れています。

ここまでの主張に対し、「事業を優先しすぎると、社員は事業の手段になってしまうのではないか」という反論もあるかもしれません。
しかし、事業の成長と社員が生き生き働くことを、二律背反だとは考えていません。事業を継続的に伸ばす上で、社員が充実感を感じながら働いている状態は、当然必要です。
私が所属するShippioでも、「仲間の人生の選択肢が最大化することを約束します」と人材マネジメントポリシーで定めており、事業さえ伸びればすべてOKとは考えていません。同時に、事業が伸びない中で社員の成功や成長を語っても、二宮尊徳の言葉を借りれば、それは「寝言」になってしまいます。

正直なところ、エンゲージメントが高いから事業が伸びているのか、事業が伸びているからエンゲージメントが高いのか、というのは非常に難しい問いだと思います。両者は複雑に絡み合っており、片側だけを切り取って良し悪しを語ることはできない。両方をちゃんと見ないと、どこかで判断を見誤ってしまう。
また、事業を主語にすることと、社員を手段にすることは、まったく別の話です。だからこそ私自身、自分の打ち手が事業にどうつながっているのか。社員のキャリアにどうつながっているのか。その二つを絶えず自問自答するようにしています。

これから先、人事という機能の重要性は高まっていくはずです。ただし、それを担う場所が「人事部」である必要は、必ずしもないと思っています。
たとえば営業部の会議には、営業企画がいます。お客様と直接対峙していないという意味では、営業企画と人事の立ち位置は本質的には変わらないのではないでしょうか。人事が事業会議に出て、事業をわかった上で、人と組織の観点で何ができるかを考える。HRBPという大層な名前すら付ける必要がなくなる、そんな景色が望ましいと考えています。
その役割を担うのは、「人事をやりたい人」というより、「事業を伸ばしたい人」です。事業を伸ばす手段の一つとして、人や組織に向き合う。それでいいと思うのです。
もちろん、事業部の中には収まり切らない、全社共通で担うべき人事機能は残ります。複数事業部門をまたぐミッションアサイン、採用基準の言語化、横串で見るべき統制。どこに重心を置くかは、会社の事業ドメインとマネジメントポリシー次第です。
全社機能をほぼゼロに置く設計から、責任と権限を厚く持たせる設計まで、選択肢にはグラデーションがあります。
事業の解像度が低いままでは、人事として打つべき手も見えてきません。だからこそ私自身、事業部の定例会議に入り、商談動画や製品リリースに自分から触れに行く。地味な積み重ねかもしれませんが、こうした現場との接点を持ち続けることでしか、事業責任者と同じ目線、同じ熱量で事業を追いかけるスタンスは育っていかないと思うからです。
事業への解像度を上げ、事業を主語にして語る。その積み重ねの先に、人事は経営の一部であり、同時に経営そのものになっていく。私はそう信じています。

(構成:樫本倫子、撮影:黒羽政士)
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人事の仕事は、人や組織の力で、事業の成長にどれだけ貢献できるか。これに尽きると思っています。
エンゲージメントスコアの向上、離職率の低下、組織の安定性。こうした指標が人事の成果として語られるシーンに、私は違和感を覚えています。
もちろん、社員が健康的に生き生きと働ける状態は、組織にとって必要です。ただそれは、事業を伸ばしていくための、いわば組織のOSにあたるもの。経営の仕事が事業を前に進めることだとすれば、人事はそのための手段の一つにほかなりません。にもかかわらず、OSが安定していること自体が成果として語られ、前提と目的がどこかで入れ替わってしまっているのです。
人事と事業の間に本来垣根は存在しないと感じます。だからこそ、人事の主語を、事業に置く。
日々の業務目標を達成したからOK ということではなく、経営チームの一員として、事業や会社が目指していることをどう実現するか。そこを出発点にして、人事という機能を当てていく感覚です。

なぜそう考えるのか。複数の会社を見てきて、人事に対する意思や取り組みが非常に素晴らしいものの事業が伸びていない会社と、逆に人事に対する取り組みをある意味意識していなくても事業が伸びている会社の対比を、何度も目にしてきたからです。

人事の取り組みの充実度と事業の成長は、必ずしも比例しません。「人を大切にする」という方針を掲げるにしても、それをどんな打ち手で実現するかは、立ち上げ期・急成長期・成熟期で変わってきます。急成長期に本当に時間を割くべきは事業の成長そのものなのに、組織を安定させようと制度設計やその運用に時間をかければ、かえって事業成長のスピードを止めてしまう。
離職率についても、低いほうがいいとは言い切れません。ビジネスモデルやフェーズによっては、人の入れ替わりが、事業やそこで働く人にとって必要な場面もある。それを踏まえずに離職率の低下を絶対的な成果と見なしてしまうのは、少し違うと思ってしまいます。
同じことは指標だけでなく施策にも言えます。他社の人事の方からよく、「ミドルマネジャーが機能していないので、研修を入れたい」という相談をいただくことがあります。ただ紐解いていくと、ミドルマネジャー自身が問題なのではなく、もっと上段の戦略の設計が甘かったり、その戦略をミドルマネジャーが理解できる状態を作れていなかったり、問題の根っこが別の場所にあるケースが多い。
その場合の対策として、ミドルマネジャー向けの研修も有効かもしれませんが、より優先的に着手すべき手段は別にあります。どうしても研修が必要だ、という思考で企画を練っていくと、それありきになっていきます。つまり、目的が「戦略を届けること」から「研修を実施すること」にすり替わってしまうということです。
もちろん研修は導入の仕方次第では非常に有効です。世の中には、いわゆる「あった方がよい」人事施策があふれています。一方、その施策と、自社にとっての「なくてはならない」施策が一致するとは限りません。
事業目標の達成から逆算して、自社のマストハブを決めきる判断軸を、人事の長が持ち続けられるか。そこに尽きるのだと思います。

人事は、やりがいを感じやすい仕事でもあります。
社員の相談に乗り、悩みや迷いが整理され、「話せてよかったです」と感謝される。こうしたやり取りを通じて、社員が活力をもって自身の仕事に向き合えるようになる。これ自体は、人事の仕事の大切な一面ですし、手応えを感じる瞬間でもあります。ただ、その手応えが事業の前進にどうつながっているかを意識しないままでいると、人事の仕事はそれ自体で完結してしまいやすい。
これは誰かを責める話ではなく、私自身がいつも気をつけていることです。
もう一つ気をつけていることは、「人事が人事の当たり前」で物事を見過ぎないようにするという視点です。時としてそれは、単なる人事のエゴでもあると感じている部分です。

この問題意識を強く持つようになったのは、かつての経験からです。
自分自身、急成長する組織の人事責任者として、そして、組織を支援する立場として、様々な企業をみてきました。その中で取り扱うテーマとして多かったのは、ミドルマネジャーの選任でした。
私は人事の立場として、適切な目標設定やフィードバックを行い、組織をケアできる人物を推奨していました。
マネジメントアクションの不足によってメンバーの不満が溜まっていることに、危機感を抱くシーンが多かったからです。
一方、ある会社の事業責任者は、プレイヤーとして実績のある社員を積極的にマネジメントへ引き上げていく方針で、私には、現場の綻びを無視した危うい登用に見えていました。
ところが実際には、組織が多少痛みつつも事業は伸び続けていく。そして、当時その事業を担当していた皆さんは、いまもそれぞれの場所で重要な役割を担い、キャリアを築いています。
当時の私の人事観に立てば「壊れていくはず」の組織が、目の前でグングン伸びていく。この状況に、自分の人事としての当たり前が当たり前ではない、ということを突きつけられました。

何年か経って振り返ったとき、自分はあのとき、いわば「人事屋」だったのだと気づきました。会社の優先順位とは別の場所で、人事のセオリーを主語にして主張を組み立てていた。
以前の所属先は事業が安定していたから、管理的な人事として制度を整備する余裕があったのでしょう。そのことに気づかないまま、自分の人事観を絶対視していたのです。
エン・ジャパン(現エン)の創業者がよく引用していた、二宮尊徳の言葉があります。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
ミッションやビジョンの大切さを語りながら、同時に利益を出していることの重みを並べて語る人でした。その言葉が、いまの私の人事観の底に、確かに流れています。

ここまでの主張に対し、「事業を優先しすぎると、社員は事業の手段になってしまうのではないか」という反論もあるかもしれません。
しかし、事業の成長と社員が生き生き働くことを、二律背反だとは考えていません。事業を継続的に伸ばす上で、社員が充実感を感じながら働いている状態は、当然必要です。
私が所属するShippioでも、「仲間の人生の選択肢が最大化することを約束します」と人材マネジメントポリシーで定めており、事業さえ伸びればすべてOKとは考えていません。同時に、事業が伸びない中で社員の成功や成長を語っても、二宮尊徳の言葉を借りれば、それは「寝言」になってしまいます。

正直なところ、エンゲージメントが高いから事業が伸びているのか、事業が伸びているからエンゲージメントが高いのか、というのは非常に難しい問いだと思います。両者は複雑に絡み合っており、片側だけを切り取って良し悪しを語ることはできない。両方をちゃんと見ないと、どこかで判断を見誤ってしまう。
また、事業を主語にすることと、社員を手段にすることは、まったく別の話です。だからこそ私自身、自分の打ち手が事業にどうつながっているのか。社員のキャリアにどうつながっているのか。その二つを絶えず自問自答するようにしています。

これから先、人事という機能の重要性は高まっていくはずです。ただし、それを担う場所が「人事部」である必要は、必ずしもないと思っています。
たとえば営業部の会議には、営業企画がいます。お客様と直接対峙していないという意味では、営業企画と人事の立ち位置は本質的には変わらないのではないでしょうか。人事が事業会議に出て、事業をわかった上で、人と組織の観点で何ができるかを考える。HRBPという大層な名前すら付ける必要がなくなる、そんな景色が望ましいと考えています。
その役割を担うのは、「人事をやりたい人」というより、「事業を伸ばしたい人」です。事業を伸ばす手段の一つとして、人や組織に向き合う。それでいいと思うのです。
もちろん、事業部の中には収まり切らない、全社共通で担うべき人事機能は残ります。複数事業部門をまたぐミッションアサイン、採用基準の言語化、横串で見るべき統制。どこに重心を置くかは、会社の事業ドメインとマネジメントポリシー次第です。
全社機能をほぼゼロに置く設計から、責任と権限を厚く持たせる設計まで、選択肢にはグラデーションがあります。
事業の解像度が低いままでは、人事として打つべき手も見えてきません。だからこそ私自身、事業部の定例会議に入り、商談動画や製品リリースに自分から触れに行く。地味な積み重ねかもしれませんが、こうした現場との接点を持ち続けることでしか、事業責任者と同じ目線、同じ熱量で事業を追いかけるスタンスは育っていかないと思うからです。
事業への解像度を上げ、事業を主語にして語る。その積み重ねの先に、人事は経営の一部であり、同時に経営そのものになっていく。私はそう信じています。

(構成:樫本倫子、撮影:黒羽政士)
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