
「権限移譲」はなぜうまくいかないのか? 自律型組織を実践したCHROの結論
あなたには、持論があるだろうか。
経営や現場と向き合い、試行錯誤を重ねる中で、自分なりの考えが形になっていく。教科書には載っていない、自分だけが確信していること。実践から導かれたその哲学が、大胆な施策の実行や、組織の設計者として経営層と対峙するとき、強固な拠り所となるだろう。
新シリーズ「ジンジロン」は、人事の第一線で活躍するキーパーソンに「持論」を一つ立ててもらう企画だ。第一弾では、noteやNewsPicksで組織・人事について積極的に発信しているアクセンチュアの太田昂志氏が持論を語る。

アクセンチュア株式会社 Principal Director
システムインテグレーター等を経て、株式会社ゆめみに入社。CHRO、取締役、上席執行役員を歴任し、DX・内製化支援の分野でリーディングカンパニーとしての成長に貢献。「働きがいのある会社」アワード各賞の受賞にも導いた。2025年12月より現職。共著に『職場を上手にモチベートする科学的方法 無理なくやる気を引き出せる26のスキル』(ダイヤモンド社)。

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近年、組織のフラット化に対する関心が高まっています。階層を減らし、意思決定の権限を現場に移譲する。そうした取り組みの背景には、上意下達ではなく、誰もが自由に意見を言える風土をつくりたいという狙いもあるのでしょう。
環境変化のスピードが増す中、現場の判断で素早く動ける組織が求められており、フラット化の必要性は高まっています。ただ、私は「人が集まる限り、完全にフラットにはならない」と考えています。

なぜ、組織はフラットにならないのでしょうか。社会心理学に「社会的比較理論」という考え方があります。人は他者と自分を比較することで、自分の位置づけを理解し、安心感を得ようとします。この性質があるからこそ、役職がなくても、人は「誰が信頼されているか」「誰の意見が通るか」を自然と把握しようとする。その結果、非公式な序列が生まれます。
もう一つ、「限定合理性」という概念があります。人間の脳には情報処理の限界があり、全ての情報を集めて最善の判断をすることは誰にもできないという考え方です。
組織はこの限界を補うためにつくられたものです。意思決定のスコープを区切り、役割を明確にし、情報を整理する。現場のことは、現場をよく知る人たちに任せる。こうした構造をつくることで、限られた認知能力の中でも合理的に動けるようになる。だからこそ、組織には役割分担と力関係が必然的に生まれます。階層をなくすことはできません。
それでもフラット化を目指す企業は、権限移譲という手段を取ることが多い。意思決定の権限を現場に渡せば、上下関係は弱まり、組織はフラットに近づくはずだ、と。
しかし、権限を移譲しても組織はフラットになりません。「部下に権限を渡したのに、なぜか意思決定が自分に戻ってくる」。マネジャーなら一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

なぜこのようなことが起きるのか。権限と権威は全く別のものだからです。
権限とは、その人に認められた行為の範囲のこと。承認権、予算決定権、人事評価権など、規程に記載され役職に紐づいています。規程を変更すれば移譲できます。
一方、権威とは、周囲が「この人の判断なら従おう」と感じる影響力です。権威は本人が持っているものではなく、受け手の認識の中にあります。ラグジュアリーブランドの価値が企業ではなく消費者の心の中にあるように、権威もまた、周囲がそう認識して初めて成り立ちます。だからこそ、権限は移譲できても、権威は移譲できません。

では、権限だけを渡され、権威が伴わないとき、何が起きるか。
権威がなければ、周囲は「この人の判断に従おう」とは思いません。権限を渡された人がどれだけ正しい判断をしても、組織は動かない。組織が動かなければ、本人は「自分の判断が組織を動かしている」という実感を得られません。
権限を行使し続けるには「意味」「有能感」「自己決定」「影響力」という四つの心理的条件が必要とされていますが、中でも重要なのが「影響力」です。その実感がなければ、権限保有者は意思決定を避けるようになり、そのボールは再び上司に戻っていきます。これが「権限移譲の失敗」の正体です。

この持論に至ったのは、ゆめみでの経験からです。ティール組織の実践企業として知られるゆめみで、私は長年CHROを務めてきました。管理職なし、全員CEO制度、評価・ノルマなし、給与自己決定制度。自律型組織の実験に深く関わってきました。
権限の分散はできました。代表取締役の裁量権を全メンバーに移譲し、オフィス新設や制度変更などを誰もが提案し、自ら意思決定して実行できる体制にしました。全ての起案は関係者のレビューを経て合意形成を行い、「やってはいけないこと」は明文化してフィードバックを機能させる。そのようにして、特定の誰かに権限が集中しない仕組みをつくりました。(参考記事)。
しかし、権威の分散は最後まで難しかった。等級をなくしても、「この人に確認しないと」という感覚は残り続けます。制度を変えても、周囲の認識が変わらなければ権威は移りません。だからゆめみは「フラットな組織」ではなく「フラッターな組織」と名乗っていました。完全にはフラットにならないが、より平らに近づけていく、という意味です。
それを目指して、代表の片岡さんは自分のことを「アホっち」と呼ばせていました。意図的に自分の権威を低下させる行為です。通常、経営者は権威を高める方向に動くものですが、その逆を行く選択です。権威を持つ人が自ら手放す努力をしなければ、権威は移らないのです。

「うちの会社は既にフラットな組織を実現している」。そう考えている経営者の方もいらっしゃるかもしれません。確かに形式的にはフラットな組織をつくれます。役職をなくす、上下関係を弱める。ただ、問い直したいのは、それは本当に「組織」なのか、ということです。
経営学者のチェスター・バーナードは組織の条件を三つに整理しました。共通目的、貢献意欲、コミュニケーション。組織である以上、目的に照らして役割分担が生まれますし、人が協力して仕事を進める上では力関係も生まれます。もし、上下なし、影響関係なし、意思決定主体なしなら、それは組織というより、単なる烏合の衆ではないでしょうか。

そもそも組織に序列が生まれるのは悪いことではありません。誰かに意見を求めたり、判断を委ねたりすることは、組織に秩序や安定をもたらす行為です。問題は、「誰がどこまで決められるのか」が不透明なまま放置されることです。
例えば、管理職の権限は、メンバーが思っているほど大きくないことが多い。有給休暇の取得は本来、管理職の承認がなくても請求できる労働者の権利です。評価と報酬も別の制度であり、課長や部長が給与を自由に決められるわけではない。こうした誤解が生まれるのは、「何が会社のルールで、何がこの人の権限なのか」が見えていないからです。
フラットな組織ほど、誰がどのような影響力を持ち、どう意思決定がなされるのかを可視化することが求められます。

今後、環境変化が激しくなる中で、階層を減らそうとする動きは加速するでしょう。フラット化、自律分散、アジャイル。これらの概念はすべて、意思決定を現場に渡すことを前提としています。この流れは不可逆的です。
階層が深すぎると、伝言ゲームのように情報が劣化し、スピードも落ちます。3階層のコミュニケーションでも情報は変質しますし、4階層、5階層となれば、現場が何を言っているのかもはや分からなくなる。だから階層はなるべく減らしていったほうがいい。これが私の立場です。
実際、ティール組織を大規模に実践している企業もあります。オランダの在宅ケア企業ビュートゾルフは1万5000人規模。ゆめみも400人規模で、1000人程度までは運営できる見込みでした。規模が大きくても、やり方次第で実現は可能です。
ただし、ティールを本格的に導入するには、代表取締役が全ての責任を持ちながら、自分の持っている実権を現場に渡すという覚悟が必要です。苦労してつくった会社の権限を手放し、責任だけを引き受ける。この決断を下すことは簡単ではないでしょう。
また、先に指摘した通り、権限を手放しても権威が残り続けるケースもあります。創業者が実権を手放した後も、周囲が「あの人に聞かないと」と感じ続ける。制度上は権限がなくても、権威が残っている限り、組織は本当の意味でフラットにはなりません。
今後は、意思決定プロセスの多くをAIが補完できるようになるはずです。そうなれば、今ほど複雑な階層がなくても組織は運営できるようになるかもしれません。
フラッターな組織を運営するには、三つのことが必要になります。意思決定プロセスの透明化、領域ごとのリーダーシップの明確化、そして秩序のデザインです。
フラットな組織とは、秩序がない組織ではありません。むしろ、見えないところにしっかりと秩序があることが、人が安心して自由に働ける条件になります。
組織づくりの本質は、階層をなくすことではなく、秩序をデザインすること。そして秩序のデザインとは、規程を書き換えることだけではなく、「この人の判断なら従おう」と思われる関係をどう育てるかまで含めて設計することです。
権限は今日から渡せます。でも、権威は今日から育て始めるしかありません。


近年、組織のフラット化に対する関心が高まっています。階層を減らし、意思決定の権限を現場に移譲する。そうした取り組みの背景には、上意下達ではなく、誰もが自由に意見を言える風土をつくりたいという狙いもあるのでしょう。
環境変化のスピードが増す中、現場の判断で素早く動ける組織が求められており、フラット化の必要性は高まっています。ただ、私は「人が集まる限り、完全にフラットにはならない」と考えています。

なぜ、組織はフラットにならないのでしょうか。社会心理学に「社会的比較理論」という考え方があります。人は他者と自分を比較することで、自分の位置づけを理解し、安心感を得ようとします。この性質があるからこそ、役職がなくても、人は「誰が信頼されているか」「誰の意見が通るか」を自然と把握しようとする。その結果、非公式な序列が生まれます。
もう一つ、「限定合理性」という概念があります。人間の脳には情報処理の限界があり、全ての情報を集めて最善の判断をすることは誰にもできないという考え方です。
組織はこの限界を補うためにつくられたものです。意思決定のスコープを区切り、役割を明確にし、情報を整理する。現場のことは、現場をよく知る人たちに任せる。こうした構造をつくることで、限られた認知能力の中でも合理的に動けるようになる。だからこそ、組織には役割分担と力関係が必然的に生まれます。階層をなくすことはできません。
それでもフラット化を目指す企業は、権限移譲という手段を取ることが多い。意思決定の権限を現場に渡せば、上下関係は弱まり、組織はフラットに近づくはずだ、と。
しかし、権限を移譲しても組織はフラットになりません。「部下に権限を渡したのに、なぜか意思決定が自分に戻ってくる」。マネジャーなら一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

なぜこのようなことが起きるのか。権限と権威は全く別のものだからです。
権限とは、その人に認められた行為の範囲のこと。承認権、予算決定権、人事評価権など、規程に記載され役職に紐づいています。規程を変更すれば移譲できます。
一方、権威とは、周囲が「この人の判断なら従おう」と感じる影響力です。権威は本人が持っているものではなく、受け手の認識の中にあります。ラグジュアリーブランドの価値が企業ではなく消費者の心の中にあるように、権威もまた、周囲がそう認識して初めて成り立ちます。だからこそ、権限は移譲できても、権威は移譲できません。

では、権限だけを渡され、権威が伴わないとき、何が起きるか。
権威がなければ、周囲は「この人の判断に従おう」とは思いません。権限を渡された人がどれだけ正しい判断をしても、組織は動かない。組織が動かなければ、本人は「自分の判断が組織を動かしている」という実感を得られません。
権限を行使し続けるには「意味」「有能感」「自己決定」「影響力」という四つの心理的条件が必要とされていますが、中でも重要なのが「影響力」です。その実感がなければ、権限保有者は意思決定を避けるようになり、そのボールは再び上司に戻っていきます。これが「権限移譲の失敗」の正体です。

この持論に至ったのは、ゆめみでの経験からです。ティール組織の実践企業として知られるゆめみで、私は長年CHROを務めてきました。管理職なし、全員CEO制度、評価・ノルマなし、給与自己決定制度。自律型組織の実験に深く関わってきました。
権限の分散はできました。代表取締役の裁量権を全メンバーに移譲し、オフィス新設や制度変更などを誰もが提案し、自ら意思決定して実行できる体制にしました。全ての起案は関係者のレビューを経て合意形成を行い、「やってはいけないこと」は明文化してフィードバックを機能させる。そのようにして、特定の誰かに権限が集中しない仕組みをつくりました。(参考記事)。
しかし、権威の分散は最後まで難しかった。等級をなくしても、「この人に確認しないと」という感覚は残り続けます。制度を変えても、周囲の認識が変わらなければ権威は移りません。だからゆめみは「フラットな組織」ではなく「フラッターな組織」と名乗っていました。完全にはフラットにならないが、より平らに近づけていく、という意味です。
それを目指して、代表の片岡さんは自分のことを「アホっち」と呼ばせていました。意図的に自分の権威を低下させる行為です。通常、経営者は権威を高める方向に動くものですが、その逆を行く選択です。権威を持つ人が自ら手放す努力をしなければ、権威は移らないのです。

「うちの会社は既にフラットな組織を実現している」。そう考えている経営者の方もいらっしゃるかもしれません。確かに形式的にはフラットな組織をつくれます。役職をなくす、上下関係を弱める。ただ、問い直したいのは、それは本当に「組織」なのか、ということです。
経営学者のチェスター・バーナードは組織の条件を三つに整理しました。共通目的、貢献意欲、コミュニケーション。組織である以上、目的に照らして役割分担が生まれますし、人が協力して仕事を進める上では力関係も生まれます。もし、上下なし、影響関係なし、意思決定主体なしなら、それは組織というより、単なる烏合の衆ではないでしょうか。

そもそも組織に序列が生まれるのは悪いことではありません。誰かに意見を求めたり、判断を委ねたりすることは、組織に秩序や安定をもたらす行為です。問題は、「誰がどこまで決められるのか」が不透明なまま放置されることです。
例えば、管理職の権限は、メンバーが思っているほど大きくないことが多い。有給休暇の取得は本来、管理職の承認がなくても請求できる労働者の権利です。評価と報酬も別の制度であり、課長や部長が給与を自由に決められるわけではない。こうした誤解が生まれるのは、「何が会社のルールで、何がこの人の権限なのか」が見えていないからです。
フラットな組織ほど、誰がどのような影響力を持ち、どう意思決定がなされるのかを可視化することが求められます。

今後、環境変化が激しくなる中で、階層を減らそうとする動きは加速するでしょう。フラット化、自律分散、アジャイル。これらの概念はすべて、意思決定を現場に渡すことを前提としています。この流れは不可逆的です。
階層が深すぎると、伝言ゲームのように情報が劣化し、スピードも落ちます。3階層のコミュニケーションでも情報は変質しますし、4階層、5階層となれば、現場が何を言っているのかもはや分からなくなる。だから階層はなるべく減らしていったほうがいい。これが私の立場です。
実際、ティール組織を大規模に実践している企業もあります。オランダの在宅ケア企業ビュートゾルフは1万5000人規模。ゆめみも400人規模で、1000人程度までは運営できる見込みでした。規模が大きくても、やり方次第で実現は可能です。
ただし、ティールを本格的に導入するには、代表取締役が全ての責任を持ちながら、自分の持っている実権を現場に渡すという覚悟が必要です。苦労してつくった会社の権限を手放し、責任だけを引き受ける。この決断を下すことは簡単ではないでしょう。
また、先に指摘した通り、権限を手放しても権威が残り続けるケースもあります。創業者が実権を手放した後も、周囲が「あの人に聞かないと」と感じ続ける。制度上は権限がなくても、権威が残っている限り、組織は本当の意味でフラットにはなりません。
今後は、意思決定プロセスの多くをAIが補完できるようになるはずです。そうなれば、今ほど複雑な階層がなくても組織は運営できるようになるかもしれません。
フラッターな組織を運営するには、三つのことが必要になります。意思決定プロセスの透明化、領域ごとのリーダーシップの明確化、そして秩序のデザインです。
フラットな組織とは、秩序がない組織ではありません。むしろ、見えないところにしっかりと秩序があることが、人が安心して自由に働ける条件になります。
組織づくりの本質は、階層をなくすことではなく、秩序をデザインすること。そして秩序のデザインとは、規程を書き換えることだけではなく、「この人の判断なら従おう」と思われる関係をどう育てるかまで含めて設計することです。
権限は今日から渡せます。でも、権威は今日から育て始めるしかありません。








