
自由だけでも、管理だけでも、組織は続かない。40年のキャリアで見えた、経営の本質
経営とは、組織文化の「サイクル」をマネージし続けることである。フリーランスと企業のマッチングを手がける株式会社Hajimari 執行役員人事統括(HRC)の有賀誠氏はそう語る。
そのカギを握るのが、「元気」と「束ね」という二つの状態の見極めだ。組織文化はこの二つの間を絶えず行き来し、どちらか一方に振り切れば、遠からず組織の成長は行き詰まる。だが、今日多くの組織が、コンプライアンスの厳格化とともに「束ね」へ傾きすぎてはいないか、と同氏は警鐘を鳴らす。
日本企業とグローバル企業、大組織とベンチャー。両極を渡り歩いてきた有賀氏に、40年余りの人事・経営のキャリアから導かれた持論を聞いた。

執行役員人事統括
北海道大学卒業後、1981年、日本鋼管(現・JFEグループ)入社。1993年、ミシガン大学経営大学院(MBA)修了。1997年、日本ゼネラルモーターズ(現・ゼネラルモーターズ・ジャパン)入社。部品部門デルファイの取締役副社長 兼 アジア・パシフィック人事本部長を務める。2003年、三菱自動車工業常務執行役員 人事本部長。ユニクロ執行役員を経て、2006年、エディー・バウアー・ジャパン代表取締役社長。その後、日本IBM人事部門理事、日本ヒューレット・パッカード取締役 執行役員 人事統括本部長、ミスミグループ本社グループ統括執行役員 人材開発センター長、日本M&Aセンター取締役 人材本部長 グループCHROを歴任。2024年11月より現職。

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組織文化というものは、静止画のように一つの状態にとどまっているわけではありません。横にした8の字、「∞」の上を回りながら、二つの状態のあいだを行き来するダイナミックな存在なのです。その二つとは、「元気」と「束ね」です。私はそれを前々職で学びました。
まず、それぞれの言葉を定義しておきましょう。「元気」とは、多様性や自由度の高い組織の状態のこと。創造性を発揮しやすく、開放感があり、想定外の危機でも強みを発揮します。
この「元気」の土台となるのは、自由な発想と、それを自信を持って発信できる心理的安全性です。良いアイデアは命令や指示からは生まれませんし、「若造が何を言うか」などと圧力をかけられたら、誰もアイデアを口にしなくなります。
もう一つの「束ね」は、統一性や同質性の追求を指します。ベクトルが揃うので行動のスピード感が高まり、互換性があるのでコストも下がる。誰がどこを担当しても組織が回る、標準化された組織といえます。

「元気」と「束ね」は、一見すると対立する概念に見えますが、両立は可能です。むしろ、長く成長する組織は、アクセルとブレーキを踏み分けるように、この二つを同時に成り立たせています。
たとえば会社の創業期や新規事業の立ち上げ期は、社員は「元気」で自由、創造性も高い。ところが、その状態が続くと今度はだんだんバラバラになってくる。異なる部署同士が連携せずに同じことをやっていたり、部署間でエラーが起きたりする。
それに気づいた経営者は、「束ね」に動きます。共通のシステムやプロセスを整え、組織文化は統一・同質に向かいます。
しかし、「束ね」のフェーズが続くと、社員が指示待ちの受け身になり、元気を失っていく。すると経営者はもう一度、「元気」の側へ引き戻そうとします。こうして組織は「元気→自由・創造性→バラバラ→束ね→管理・統一化→受け身→元気」の循環を回り続けるのです。
したがって、経営や人事の役割は、自社や各部門がその「∞」のサイクルのどこにいるかを見極め、「バラバラ」や「受け身」へ落ちる前に先手を打つこと。理想を言えば、元気な状態と健全に管理された状態を同時にキープしておくことです。それが、「組織文化のサイクルをマネージする」という主張の意味です。

なぜ「元気」と「束ね」の両立が必要なのか。
組織を一つの四角い枠に見立てて、その枠を所属する社員で塗りつぶす図をイメージしてください。まず、同じタイプの社員が揃った組織は、この枠を均質に、きれいに塗りつぶすのが得意です。形も均一なので、誰をどこに配置しても組織は回ります。
一方、多様な組織では、個々の社員の形や大きさはバラバラで、どうしても塗り漏らしが出たり、枠から飛び出す存在が出てきたりします。束ねて同質化したほうが、組織はずっと管理しやすくなる。多様な組織のほうが管理コストは高く、マネジャーの腕と頭が問われます。

ところが、同質的な組織が「与えられた枠をきれいに塗りつぶすこと」に注力していると、誰も枠の外へ出ようとしなくなります。すると、時間とともに、そしておそらくは気がつかないうちに、その枠が縮小していくリスクに直面します。組織の器が小さくなれば、企業としての成長も見込めません。
だからこそ、組織が長い目で成長し続けるためには、枠をはみ出す存在、つまり既存の枠組みに収まらない異才を、意識的に組織に「抱えておく」必要があります。「頭は良いが、行動や発想の意味がわからない」と煙たがられる存在を、潰さずに育て、経営と直結させる。かといって、異才ばかり集め、自由奔放にやらせていたら組織は成り立たない。だから、どちらか一方ではなく「元気」と「束ね」の両立が必須なのです。

この、組織に多様性や自由度、すなわち「元気」を担保することの重要性は、今日ますます高まっています。コンプライアンスが問われた21世紀以降、ルールは厳しくなり、大企業が元気を失った。多くの組織が「束ね」へと傾きすぎたのです。
しかし、普段は管理一辺倒なのに、都合のいいときだけ「イノベーションを起こせ」と言うのはどだい無理な話です。だからこそ、ある程度グリップしながら「束ね」つつ、忘れられがちな「元気」をいかにして守り、さらに引き出していくかを、経営者や人事は考えなければなりません。
そもそも「束ね」の本質は、全てを管理、標準化することではありません。「何を共通の軸として束ね、何を各現場や各人に委ねるか」を判断することにあります。だから経営や人事は、束ねるべき部分と委ねるべき部分の線引きを、絶えず判断しなければなりません。
そして、その線引きに唯一の正解はありません。各社が、自社の戦略や置かれた条件に照らして、自前の思想で決めるしかないものです。

たとえば日本企業がグローバルに展開しようとするとき、欧米企業のやり方をそのまま真似ても、まずうまくいかない。日本語というマイナー言語、阿吽の呼吸のハイコンテキスト文化、特殊な労働環境。こうしたハンデを抱えた組織が、英語を公用語とする欧米のグローバル企業を表面的に模倣しても、機能しないのです。だからこそ、「ここまでは世界共通のルールで束ね、ここからは各国の拠点に委ねる」といった判断軸を、自組織の特性を踏まえて独自に設けるしかありません。
これは、グローバル展開に限った話ではありません。複数事業を抱えるグループ経営でも、規模の大小を問わず、同じ構造です。「何を束ね、何を委ねるか」の線引きこそが、その会社の思想であり、文化を形づくる根幹といっても過言ではありません。

元気と束ねの両立、そして束ねの線引きの自前化。私がこうした考えの重要性に至った背景には、いくつかの印象的な経験があります。
一つは、38歳で初めて外資系のグローバル企業に転じたときのこと。「部下がマネジャーに反対しても良い」というカルチャーを目の当たりにして、非常に驚きました。
それまで16年間勤めていた日本の鉄鋼メーカーは、誰がどこへ行っても回る典型的な「束ね」の組織。対して、転職先の企業は多様な人材が在籍し、まさにマネジャーの腕と頭が問われる「元気」の組織。そのとき初めて全く異なる文化が存在することを思い知りました。
その後、別のグローバル企業で人事の責任者を務めたときには、「束ね」の線引きを自ら行う大切さを痛感しました。当時、経営トップから新たな人事制度の設計をミッションとして課せられた私は、アメリカに本社を持つグローバル企業の間で主流となっていた効率重視のモデルを参考にしようとしました。
ところが、経営者にこてんぱんに叱られたのです。「人のマネをするな。1年かけてもいいから、この会社独自のものを作りなさい」と……。
確かにそうだな、と反省しました。そこから1年かけて、たどり着いた判断軸が「人が育つかどうか」でした。人事制度のうち、世界共通で揃えたほうが人が早く育つ部分は揃え、各拠点に任せたほうが育つ部分は任せる。そのように線引きしたのです。他社の真似ではなく、人が育つかどうかを軸に決める。この判断軸が、今も私の組織観の核になっています。

これら個々の経験に加え、業界も文化も異なる組織を渡り歩いてきた経験全体から見えてきたこともあります。
創業期の元気な組織、「束ね」へ移行する組織、受け身に陥った組織。これまで見てきた組織は様々ですが、見方を変えると、いずれも同じ「∞」の循環の中の異なるフェーズにいる、というだけのことだったのです。そして、組織はみな、この循環を時間とともに巡っていく。そうしてたどり着いたのが、「組織文化は『∞』のサイクルを回り続ける」という視点でした。

ここまで読んでくださった方の中には、次のようなことを思った方もいるかもしれません。
「ウチの会社はベンチャースピリットが何より大切なので、『元気』だけでいいんだ」
「工場のようなオペレーション中心の組織なら、一定のルールのもとで業務を忠実にこなす『束ね』だけでいいのでは?」
現実問題として、どちらかに偏る局面もあるでしょう。その選択が、その時点で最適な経営判断になることもあるでしょうし、再建中の赤字企業など意図的に「束ね」へ振り切らざるを得ないこともあると思います。
そうしたことを大前提としたうえで、10年、20年と持続的に成長する組織をつくるなら、両方を行き来するサイクルが必要になると考えます。たとえオペレーション中心の組織でも、現場から改善のアイデアが上がってこなくなったら、どうでしょう。それは「受け身」に落ちている兆候であり、やがて組織の「枠」は縮み、衰退は免れないでしょう。「根拠」のパートでも触れた通りです。

ただ、多くの日本企業には、両立を阻む現実的な「壁」があります。特に「元気」の壁です。今も日本企業には年功序列の文化が根深く残り、若手が大胆な提案をするには勇気が要ります。下手をすれば、言ったこと自体が減点になるので萎縮してしまいます。
一方で、経営トップは、そうした若手の生の声をこそ聞きたいと思っているものです。その機会を潰してしまうのは、たいてい中間管理職なのです。
ならばどうするか。私が人事のリーダーとして力を入れてきたのは、部長や課長をあえて飛ばし、現場の優秀な若手やそのアイデアを直接トップにつなぐ仕掛けを意図的につくることでした。
具体的には、研修や食事会などを設けて双方を繋いできましたが、いちばん効果を発揮したのは「合宿」です。オフィスを出て山にこもれば、ほかの仕事に手を出すこともできないし、上司から急な呼び出しがかかる心配もない。だから、参加する経営層も若手社員も「今日は対話に専念しよう」と腹を括れるのです。

組織文化の「∞」のサイクルは、全社だけでなく、部門・チーム単位、さらには個人単位にも当てはまります。同じ会社でも、新規事業の部署は「元気」、成熟した事業部門は「束ね」とフェーズは異なる。業績の好不調によっても変わるでしょう。
冒頭で「経営とは『組織文化のサイクルをマネージし続けること』」と述べました。同じことが、レイヤーは違えど、マネジャーにも相似形で求められます。
自分のチームがいまサイクルのどこにいるかを見極め、「受け身」に落ちていれば「元気」へ引き上げ、「バラバラ」であれば「束ね」の手を打つ。いわば、チーム単位での組織文化のマネジメントです。チームの不調は、たいてい人間関係のもつれやコミュニケーションの不足から始まりますから、そこにいち早く気づいて動くことが肝心です。
今いるHajimariはまさに成長期にあるスタートアップで、若い社員も多く、「元気」にあふれた組織文化があります。ただ、これから事業成長に伴い社員が増えていくと、「束ね」は自然と強まります。かつては阿吽の呼吸でできたことも、ルールを定めなければ回らなくなる。
それでも私は「あれをやるな、これをやるな」と性悪説で細かく縛りたくはありません。社員を信頼し、一人ひとりが自分の頭で考え、自立した個として動けるようにする形で束ねようとしています。会社の理念・思想・価値観に共感してくれるなら、どう行動すべきかは自ずとわかるはずですし、こうした束ね方こそが、経営の最大課題である「元気」の維持・推進との両立につながると考えます。

ただ、これはあくまで当社の考え方であり、「元気」と「束ね」の線引きやバランスのとり方は、企業ごと、職場ごとに異なります。
だから経営者も人事も、マネジャーも、この「∞」の絵を常に頭に描き、自分たちが今どこにいて、どう動くべきかを問い続けるしかありません。それを意識している組織こそが、健全に成長していけるはずです。
(構成:堀尾大悟、撮影:黒羽政士)

組織文化というものは、静止画のように一つの状態にとどまっているわけではありません。横にした8の字、「∞」の上を回りながら、二つの状態のあいだを行き来するダイナミックな存在なのです。その二つとは、「元気」と「束ね」です。私はそれを前々職で学びました。
まず、それぞれの言葉を定義しておきましょう。「元気」とは、多様性や自由度の高い組織の状態のこと。創造性を発揮しやすく、開放感があり、想定外の危機でも強みを発揮します。
この「元気」の土台となるのは、自由な発想と、それを自信を持って発信できる心理的安全性です。良いアイデアは命令や指示からは生まれませんし、「若造が何を言うか」などと圧力をかけられたら、誰もアイデアを口にしなくなります。
もう一つの「束ね」は、統一性や同質性の追求を指します。ベクトルが揃うので行動のスピード感が高まり、互換性があるのでコストも下がる。誰がどこを担当しても組織が回る、標準化された組織といえます。

「元気」と「束ね」は、一見すると対立する概念に見えますが、両立は可能です。むしろ、長く成長する組織は、アクセルとブレーキを踏み分けるように、この二つを同時に成り立たせています。
たとえば会社の創業期や新規事業の立ち上げ期は、社員は「元気」で自由、創造性も高い。ところが、その状態が続くと今度はだんだんバラバラになってくる。異なる部署同士が連携せずに同じことをやっていたり、部署間でエラーが起きたりする。
それに気づいた経営者は、「束ね」に動きます。共通のシステムやプロセスを整え、組織文化は統一・同質に向かいます。
しかし、「束ね」のフェーズが続くと、社員が指示待ちの受け身になり、元気を失っていく。すると経営者はもう一度、「元気」の側へ引き戻そうとします。こうして組織は「元気→自由・創造性→バラバラ→束ね→管理・統一化→受け身→元気」の循環を回り続けるのです。
したがって、経営や人事の役割は、自社や各部門がその「∞」のサイクルのどこにいるかを見極め、「バラバラ」や「受け身」へ落ちる前に先手を打つこと。理想を言えば、元気な状態と健全に管理された状態を同時にキープしておくことです。それが、「組織文化のサイクルをマネージする」という主張の意味です。

なぜ「元気」と「束ね」の両立が必要なのか。
組織を一つの四角い枠に見立てて、その枠を所属する社員で塗りつぶす図をイメージしてください。まず、同じタイプの社員が揃った組織は、この枠を均質に、きれいに塗りつぶすのが得意です。形も均一なので、誰をどこに配置しても組織は回ります。
一方、多様な組織では、個々の社員の形や大きさはバラバラで、どうしても塗り漏らしが出たり、枠から飛び出す存在が出てきたりします。束ねて同質化したほうが、組織はずっと管理しやすくなる。多様な組織のほうが管理コストは高く、マネジャーの腕と頭が問われます。

ところが、同質的な組織が「与えられた枠をきれいに塗りつぶすこと」に注力していると、誰も枠の外へ出ようとしなくなります。すると、時間とともに、そしておそらくは気がつかないうちに、その枠が縮小していくリスクに直面します。組織の器が小さくなれば、企業としての成長も見込めません。
だからこそ、組織が長い目で成長し続けるためには、枠をはみ出す存在、つまり既存の枠組みに収まらない異才を、意識的に組織に「抱えておく」必要があります。「頭は良いが、行動や発想の意味がわからない」と煙たがられる存在を、潰さずに育て、経営と直結させる。かといって、異才ばかり集め、自由奔放にやらせていたら組織は成り立たない。だから、どちらか一方ではなく「元気」と「束ね」の両立が必須なのです。

この、組織に多様性や自由度、すなわち「元気」を担保することの重要性は、今日ますます高まっています。コンプライアンスが問われた21世紀以降、ルールは厳しくなり、大企業が元気を失った。多くの組織が「束ね」へと傾きすぎたのです。
しかし、普段は管理一辺倒なのに、都合のいいときだけ「イノベーションを起こせ」と言うのはどだい無理な話です。だからこそ、ある程度グリップしながら「束ね」つつ、忘れられがちな「元気」をいかにして守り、さらに引き出していくかを、経営者や人事は考えなければなりません。
そもそも「束ね」の本質は、全てを管理、標準化することではありません。「何を共通の軸として束ね、何を各現場や各人に委ねるか」を判断することにあります。だから経営や人事は、束ねるべき部分と委ねるべき部分の線引きを、絶えず判断しなければなりません。
そして、その線引きに唯一の正解はありません。各社が、自社の戦略や置かれた条件に照らして、自前の思想で決めるしかないものです。

たとえば日本企業がグローバルに展開しようとするとき、欧米企業のやり方をそのまま真似ても、まずうまくいかない。日本語というマイナー言語、阿吽の呼吸のハイコンテキスト文化、特殊な労働環境。こうしたハンデを抱えた組織が、英語を公用語とする欧米のグローバル企業を表面的に模倣しても、機能しないのです。だからこそ、「ここまでは世界共通のルールで束ね、ここからは各国の拠点に委ねる」といった判断軸を、自組織の特性を踏まえて独自に設けるしかありません。
これは、グローバル展開に限った話ではありません。複数事業を抱えるグループ経営でも、規模の大小を問わず、同じ構造です。「何を束ね、何を委ねるか」の線引きこそが、その会社の思想であり、文化を形づくる根幹といっても過言ではありません。

元気と束ねの両立、そして束ねの線引きの自前化。私がこうした考えの重要性に至った背景には、いくつかの印象的な経験があります。
一つは、38歳で初めて外資系のグローバル企業に転じたときのこと。「部下がマネジャーに反対しても良い」というカルチャーを目の当たりにして、非常に驚きました。
それまで16年間勤めていた日本の鉄鋼メーカーは、誰がどこへ行っても回る典型的な「束ね」の組織。対して、転職先の企業は多様な人材が在籍し、まさにマネジャーの腕と頭が問われる「元気」の組織。そのとき初めて全く異なる文化が存在することを思い知りました。
その後、別のグローバル企業で人事の責任者を務めたときには、「束ね」の線引きを自ら行う大切さを痛感しました。当時、経営トップから新たな人事制度の設計をミッションとして課せられた私は、アメリカに本社を持つグローバル企業の間で主流となっていた効率重視のモデルを参考にしようとしました。
ところが、経営者にこてんぱんに叱られたのです。「人のマネをするな。1年かけてもいいから、この会社独自のものを作りなさい」と……。
確かにそうだな、と反省しました。そこから1年かけて、たどり着いた判断軸が「人が育つかどうか」でした。人事制度のうち、世界共通で揃えたほうが人が早く育つ部分は揃え、各拠点に任せたほうが育つ部分は任せる。そのように線引きしたのです。他社の真似ではなく、人が育つかどうかを軸に決める。この判断軸が、今も私の組織観の核になっています。

これら個々の経験に加え、業界も文化も異なる組織を渡り歩いてきた経験全体から見えてきたこともあります。
創業期の元気な組織、「束ね」へ移行する組織、受け身に陥った組織。これまで見てきた組織は様々ですが、見方を変えると、いずれも同じ「∞」の循環の中の異なるフェーズにいる、というだけのことだったのです。そして、組織はみな、この循環を時間とともに巡っていく。そうしてたどり着いたのが、「組織文化は『∞』のサイクルを回り続ける」という視点でした。

ここまで読んでくださった方の中には、次のようなことを思った方もいるかもしれません。
「ウチの会社はベンチャースピリットが何より大切なので、『元気』だけでいいんだ」
「工場のようなオペレーション中心の組織なら、一定のルールのもとで業務を忠実にこなす『束ね』だけでいいのでは?」
現実問題として、どちらかに偏る局面もあるでしょう。その選択が、その時点で最適な経営判断になることもあるでしょうし、再建中の赤字企業など意図的に「束ね」へ振り切らざるを得ないこともあると思います。
そうしたことを大前提としたうえで、10年、20年と持続的に成長する組織をつくるなら、両方を行き来するサイクルが必要になると考えます。たとえオペレーション中心の組織でも、現場から改善のアイデアが上がってこなくなったら、どうでしょう。それは「受け身」に落ちている兆候であり、やがて組織の「枠」は縮み、衰退は免れないでしょう。「根拠」のパートでも触れた通りです。

ただ、多くの日本企業には、両立を阻む現実的な「壁」があります。特に「元気」の壁です。今も日本企業には年功序列の文化が根深く残り、若手が大胆な提案をするには勇気が要ります。下手をすれば、言ったこと自体が減点になるので萎縮してしまいます。
一方で、経営トップは、そうした若手の生の声をこそ聞きたいと思っているものです。その機会を潰してしまうのは、たいてい中間管理職なのです。
ならばどうするか。私が人事のリーダーとして力を入れてきたのは、部長や課長をあえて飛ばし、現場の優秀な若手やそのアイデアを直接トップにつなぐ仕掛けを意図的につくることでした。
具体的には、研修や食事会などを設けて双方を繋いできましたが、いちばん効果を発揮したのは「合宿」です。オフィスを出て山にこもれば、ほかの仕事に手を出すこともできないし、上司から急な呼び出しがかかる心配もない。だから、参加する経営層も若手社員も「今日は対話に専念しよう」と腹を括れるのです。

組織文化の「∞」のサイクルは、全社だけでなく、部門・チーム単位、さらには個人単位にも当てはまります。同じ会社でも、新規事業の部署は「元気」、成熟した事業部門は「束ね」とフェーズは異なる。業績の好不調によっても変わるでしょう。
冒頭で「経営とは『組織文化のサイクルをマネージし続けること』」と述べました。同じことが、レイヤーは違えど、マネジャーにも相似形で求められます。
自分のチームがいまサイクルのどこにいるかを見極め、「受け身」に落ちていれば「元気」へ引き上げ、「バラバラ」であれば「束ね」の手を打つ。いわば、チーム単位での組織文化のマネジメントです。チームの不調は、たいてい人間関係のもつれやコミュニケーションの不足から始まりますから、そこにいち早く気づいて動くことが肝心です。
今いるHajimariはまさに成長期にあるスタートアップで、若い社員も多く、「元気」にあふれた組織文化があります。ただ、これから事業成長に伴い社員が増えていくと、「束ね」は自然と強まります。かつては阿吽の呼吸でできたことも、ルールを定めなければ回らなくなる。
それでも私は「あれをやるな、これをやるな」と性悪説で細かく縛りたくはありません。社員を信頼し、一人ひとりが自分の頭で考え、自立した個として動けるようにする形で束ねようとしています。会社の理念・思想・価値観に共感してくれるなら、どう行動すべきかは自ずとわかるはずですし、こうした束ね方こそが、経営の最大課題である「元気」の維持・推進との両立につながると考えます。

ただ、これはあくまで当社の考え方であり、「元気」と「束ね」の線引きやバランスのとり方は、企業ごと、職場ごとに異なります。
だから経営者も人事も、マネジャーも、この「∞」の絵を常に頭に描き、自分たちが今どこにいて、どう動くべきかを問い続けるしかありません。それを意識している組織こそが、健全に成長していけるはずです。
(構成:堀尾大悟、撮影:黒羽政士)







