人材獲得競争が激化する今、企業の成長を左右するのは「人」への深い理解と組織作りだ。従来の人事部を超えた「人事のプロ」とは何か。96個ものバンドを組んだ経験からグループ論や組織論の面白さに目覚め、500社以上の企業支援を経て「人事図書館」を開設した吉田洋介氏が語る、AI時代の人事の本質と対話の力。
吉田 洋介(よしだ・ようすけ)
人事図書館 館長
2007年立命館大学大学院政策科学研究科卒業。新卒でリクルートマネジメントソリューションズ入社。組織人事支援として国内外500社以上の採用、人材開発、組織開発、人事制度等に関わり、支社長・事業責任者等を歴任。2021年に独立し株式会社Trustyyleを設立。2024年4月に東京・人形町に1,000冊以上の人事関連書籍を備えた「人事図書館」をオープンし、現職。
目次
企業には「組織を考え抜く人」が必要
——吉田さんが開設した人事図書館では、「全ての組織に、人事のプロを」というメッセージを発しています。これは、どのような思いが込められているのでしょうか。
産業の近代化以降、「こうすればうまくいく」という成功法則から、「これは避けるべき」という失敗の教訓まで、事業活動における知識が研究や書籍として膨大に残されています。
ただ、豊富な蓄積があるにもかかわらず、事業の成功のためにそれを学び実践している人材はほとんどいません。多くの人事担当者は独自の経験則に頼り、各担当者が場当たり的に課題に対応しているのが現状です。
日本企業は過去30年間、様々な海外モデルを模倣してきたものの、成功例は限られています。会社には固有の文脈があるため、「自分たち(の会社)に必要なものは何か」をはっきりさせていくことが非常に重要になります。
ただ、残念ながら、多くの人事は自分が経験してきた会社の枠内でしか思考できず、「引き出し」が限られています。環境の変化が激しい中で、「今の組織の在り方で本当に良いのか」を考え、見直せる人がいないと、「誰からも選ばれない会社」となり、人材流出から事業継続の危機へとつながります。
この問題の本質は、組織作りを担う役割が必ずしも経営者とは限らない点です。経営者は事業作りや、社会的インパクトの創出に注力するため、組織設計の優先度は下がりがちです。そこで、組織作りを最優先事項として捉える専門人材が必要と考え、「全ての組織に、人事のプロを」というビジョンを掲げることにしました。

——経営者が組織作りを二の次にした場合、人事だけでなく、事業に関わる人たち一人一人が組織作りを優先すべきということですか?
もちろん全社員が組織に意識を向けることが望ましいですが、重要なのは「誰が組織を考え抜く役割を担うか」を明確に決めることです。CEOが事業戦略に合わせて組織作りを担う体制もあり得ますし、人事部門や別の適任者が担当するケースもあるでしょう。大事なのは「職種」ではなく「役割」の明確化です。組織作りについて考えている人がいるようで、実は誰も考えていなかったということは起こりえます。
組織の「一貫性」が好循環を生む
——環境の変化が激しい中で、その変化に対応するための組織作りをしている代表的な企業事例はありますか。
ハイアールグループの組織作りは象徴的です。もとは厳格なピラミッド型組織だったのですが、自律分散型への移行や、状況に応じてピラミッド型への回帰など、およそ十年単位で数万人規模の組織を再構築し続けています。現在は小規模・集合型の組織形態を採用するなど、事業フェーズや時代の要請に合わせて組織を作り替え、成長し続けている実例です。
——ハイアールグループは創業以来、「人の価値が第一」という成長方針を持っているそうですね。同社ほど事業に合わせてドラスティックに組織作りをするというケースは、日本企業ではあまり見かけません。2000年前後に多くの企業で導入された成果主義も、華々しく導入した企業の多くが、今では別の人事制度に変更しています。近年ではジョブ型を始めた会社も多いですが、日本は人事制度を横並びで始めがちです。
成果主義は、バブル崩壊後の業績伸び悩みを背景に、社員全員が直接的な目標を持つことで業績向上を図ることを目的に導入されました。ただ、この取り組みにより、従来の日本企業で大切にされてきた助け合いの精神が薄れるという課題が生じました。一方で、光通信やキーエンスのように、各従業員が業績を重視する文化を築き上げ、成長を続けている企業も存在します。
両者の決定的な違いは「一貫性」にあります。キーエンスの場合、入社前からハードワークであることが周知されており、業務が厳しくともその成果が適正に評価され、給与にも反映されます。このプロセスが期待通りに展開するため、社員は前向きに努力でき、業績向上という好循環が生まれるのです。対照的に「あなたの個性をどんどん発揮してほしい」と言われて入社したのに、「まずは個性よりも言われたことをやることから」と要望されてしまえば社員は困惑するでしょう。
「成果主義」も、現在注目されているエンゲージメントサーベイや1on1も、いわば「パーツ」です。これらの施策を導入したら自動的に成功するわけではなく、会社の理念や方針との一貫性が決定的に重要です。このパーツを、自社の文脈に適合するようデザインできるかどうかが、企業間に非常に大きな差を生み出します。
——重要なのは個別の施策ではなく、一貫性を持たせること。そうした視点を持つ人事のプロが組織にいなければ、今後どのような事態が起きるのでしょうか。
最も直接的な影響は採用市場での競争力低下でしょう。現状では賃金引き上げで一定の採用効果が得られますが、業界全体の賃金が上がれば、入社後の体験の質や、社会貢献の実感度など、より多面的な価値が求められるようになります。人材が集まらなければ事業の存続が危ぶまれるので、優れた職場体験を提供できる組織に進化するよう絶えず磨き続けなくてはならないし、その牽引役として組織作りの専門人材の必要性は増していくでしょう。
さらに、人事のプロの存在は組織に様々な好影響をもたらします。ある調査によると現場では社内コミュニケーションの4~6割が根回しや形式的な承認取り付けなど非本質的なコミュニケーションに費やされているとも言われます。誰がいつ決めたかわからない煩雑なルールや慣習も散見されます。人事のプロはこうした非効率を徹底的に整理し、社員が本質的な価値創造に集中できる環境作りを担います。その結果、仕事の面白さの再発見や、シンプルな環境下で各人の創意工夫が進むなどして、一人一人の仕事の価値が飛躍的に高まる組織へと進化していくと考えます。

吉田館長の考える「HRBP」の姿とは
——近年導入が加速傾向にあるHRBP(Human Resources Business Partner)は、「事業に貢献していく」役割を担っていく職種だと捉えていますが、吉田さんが考える「あるべきHRBPの姿」とはどのようなものでしょうか。
最近注目されているHRBPという言葉は、デイビッド・ウルリッチ氏が著書『MBAの人材戦略』で提唱した「HRモデル」に由来していると理解しています。ウルリッチ氏はHRの役割を①ストラテジック・パートナー(経営戦略と人事戦略を結びつける役割)、②チェンジ・エージェント(組織変革を推進する役割)、③アドミニストレーティブ・エキスパート(業務効率の改善や制度の整備)、④エンプロイー・チャンピオン(従業員の声を聞き、職場環境を整える)の4象限で捉えましたが、そのうちストラテジック・パートナーがHRBPとして注目されるようになってきています。
今日のトレンドワードとしての「HRBP」は、ウルリッチの4象限を包含しつつ、戦略と直結する人事の姿を新たに描こうとする動きのことだと理解しています。実態として多いのは、大企業の中で、本社人事を「CoE(センター・オブ・エクセレンス)」、事業部人事を「HRBP」という呼称に変えるパターンです。これは以前からある典型的な人事連携の形といえます。

——HRBPという言葉がトレンドになってきたことで、人事の仕事をしてきた人の中には、「自分はHRBPではないからダメなんだ」と感じてしまう人もいるのでしょうか。
新しい対立的な概念が増えると、どうしても心理的な分断が生まれやすいものです。「うちはまだ『人事部』って呼んでるんですよ」などと自嘲気味に話す人もいますが、優れた仕事をしているのであれば、肩書きの違いにこだわる必要はないでしょう。
——「1on1総研」は対話の価値を探求するメディアです。HRBPの業務において、1対1の対話がもたらす価値についてどのようにお考えですか。
対話が大切になるシーンは増えていくと思います。生成AIの存在感が大きくなっていますが、現時点ではデジタル化されたデータしか取り扱えません。だからこそ、1対1の対話から相手の内にある形になってないものを引き出すことが、人事の大きな仕事になると思います。AIチャットボットでもインタビューはできるけど、「あなただから話したい」と思える相手でなければ、人は本音を語りません。生成AIの時代だからこそ、「誰が言っているのか」「相手は誰なのか」、その信頼感の重要性が増していると考えています。
——吉田さんのいう「信頼」とは、どのように培われるものでしょうか。
近年、「自分の大事なものを大事にしてくれている人」の存在が重要度を増していると思います。だからこそマネジャーは、「なぜこの人は貴重な人生の時間を使って今この会社で働いているのか」とメンバーに対して根本的な関心を持ち、「人生の重要な時間を一緒に過ごしているんだから、何を実現していったいいか一緒に考えたいんだ」といった姿勢を見せることが大事になります。
さらに、相手のために自らリスクを取る姿勢も信頼構築には不可欠です。例えば、特別に時間を割いて関わったり、会社の都合より相手の成長を優先した助言をしたりするなど、一歩踏み込んだ関わり方が大きな差を生みます。
マネジャーが全ての部下に対して深く関わることは現実的に難しいですが、「この人には」と決めたら徹底的に”関わりきる”ことが大切です。情報が簡単に共有される現代では、オープンで誠実な関係性構築がより効果的だと考えています。

「人」にまつわる経営課題が爆増
——組織変革への期待が高まる中、これからの人事の役割はどのように変わっていくとお考えですか。
「事業を支援する人事」から「事業を推進する人事」へと進化していくべきだと思います。そのためには、自社の事業や経営、そして社員について深く理解することが第一歩です。これからの時代に必要な選ばれる組織になるための人と組織のソリューションは、経営者と同様に事業と人材の葛藤を持たなければ生みだせません。
小規模組織では経営者の考えを直接聞けますが、組織が大きくなるほど、その距離は広がります。しかし想像だけで動くのは危険です。だからこそ、規模に関わらず、人事は自ら情報を集め、解を見出す姿勢が不可欠なのです。
今後、人にまつわる経営課題は増大します。従来は「人事には経営の機微は教えられない」という風潮もありましたが、経営会議のメンバーに必ずしも組織作りの専門家がいるわけではありません。こうした状況を踏まえると、人に関する課題解決を得意とする人事を経営の中核に位置づける方向性は自然な流れではないでしょうか。
——組織作りの重要性について経営層の認識が十分でない場合、経営に危機感を持つ人事はどのような行動を取るべきでしょうか。
まずは徹底した情報収集から始めるべきです。現場の管理職レベルからでも構いません。具体的な課題や浸透している経営方針、その背景にある考え方を丁寧に聞き取ることが第一歩となります。
従来の人事は現場支援機能として、施策を提案するだけで役割を果たしたとみなされ、結果に対する責任は問われにくい立場でした。しかし今後は、組織のパフォーマンスに対して責任を持ち、低迷する状態に警鐘を鳴らす役割を担うことになるでしょう。組織の課題を発見しながら放置することは、事業パフォーマンス低下という重大なリスクにつながります。
こうした変化により、人事には事業への深い理解が求められると同時に、事業側からも人事領域への関心が高まっています。例えばエンジニアリングのマネジャーから人材育成やマネジメントについて学びたいという声が増えています。スクラムやアジャイル開発の広がりはその象徴で、これらの手法自体に人材育成の要素が組み込まれています。人事も大いに学ぶことがある領域だと感じています。
——このような変化は人事という職種にとってどのような意味を持つのでしょうか。
人事にとって大きなチャンスの時代が到来しています。採用競争の激化と人材定着の難しさが増す中で、人事への期待は飛躍的に高まり、その専門性はますます価値を増すでしょう。一方で、従来型の事務的業務は早晩AIに置き換えられる可能性が高いです。
つまり、事業推進力を持つ人事プロフェッショナルには活躍の場が広がり、処遇も向上する時代が来ると考えています。経営者と対等に議論できる知見と判断力を磨き、多様な「引き出し」を持つことが求められます。要求水準は高まりますが、経営に直接的なインパクトを与え、事業変革の最前線に立つ機会も増えていくでしょう。

📖吉田館長の推薦図書

『MBAの人材戦略』
デイビッド・ウルリッチ著 日本能率協会マネジメントセンター
ウルリッチ教授が「戦略人事」という言葉を提唱した書。戦略人事を四つの役割に分けて定義し、HRBPの役割の機能について言及しています。なぜHRBPという考えが生まれたのかという原点を知るための必読書。
『経営中毒 社長はつらい、だから楽しい』
徳谷智史著 PHP研究所
大企業からベンチャーまで1,000社以上の企業変革を支援してきたエッグフォワード代表の徳谷智史氏が、組織マネジメントで起こるトラブル・苦難を示した「経営指南書」。経営者の意思決定基準や、ハードシングスの乗り越え方など、経営者の思考を理解したいときに読むべき良書。
『黒字化せよ! 出向社長最後の勝負 万年赤字会社は、なぜ10カ月で生まれ変わったのか』
猿谷雅治著 五十嵐英憲解説 ダイヤモンド社
突然、万年赤字子会社に出向を命じられた主人公が、社員のやる気に火を点け、たった10カ月で黒字化に成功したという実話をベースにした物語。「『事業と組織が変わる』とはこういうことなのか」と感じることができる一冊。
【「人事図書館」について】
『仲間と学びで、未来を拓く』『すべての組織に、人事のプロを』をコンセプトにした人事をはじめとする「人・組織課題に向き合うすべての人」のための学びと交流の場。先人の知恵である「本」に学び、「仲間」と出会い、ともに磨き合う新しい図書館として2024年4月に東京・人形町にオープンした。今年4月からは「出張人事図書館」を開始し、全国に活動の場を広げている。
所在地:103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町1-12-7
公式サイト:https://hr-library.jp/
公式X:@hr_library0401
(撮影:黒羽政士)