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私たちはなぜ「しがらみ」を必要とするのか。「名もなき人間関係」の意外な価値
私たちはなぜ「しがらみ」を必要とするのか。「名もなき人間関係」の意外な価値

私たちはなぜ「しがらみ」を必要とするのか。「名もなき人間関係」の意外な価値

SNSやコミュニケーションアプリの普及は、私たちの人間関係の築き方を不可逆的に変えた。繋がりを選べる時代に煩わしさは真っ先に排除される。他方、「しがらみ」の象徴ともいえるPTAで3年間会長を務めた政治学者・岡田憲治氏は、人が「しがらむ」ことの価値を説く。「1on1総研」編集長・下元陽が岡田氏にその真意を聞いた。

目次

「面倒なことに巻き込またくない」若者たち

下元 組織の人間関係が変化する中、あらゆる業界で風通しの良さが求められ、「しがらみ」と呼ばれるものは存在感を失いつつあります。歓迎すべきこともある一方で、支え合いの土台となる人間関係まで希薄化されているような感覚もあり、改めて「しがらみ」の価値を問い直したいと考えています。

岡田 若い人は「しがらみ」が嫌いでしょうね。でも、その気持ちはよくわかります。ゼミが終わって、教え子たちと食事に行くとよくあることですが、一軒目を出て、時計を見たら20時50分。彼らは二次会に行くだろうから、補助金を渡そうとしたら、「明日試験があるので帰ります」。私が驚いていると、「僕ら、飲み会にはあらゆるコスト計算して臨みますから」と畳み掛けてくる(笑)。

こうした若者たちが、今どんどん社会に出ています。彼らは自分のペースを確立している。「しがらみ」と聞けば、「面倒なことに巻き込まれる」と脳内で変換されるでしょうね。

下元 かく言う岡田先生も若かりし頃に面倒な「しがらみ」に巻き込まれていたことを著書で明かされています。

学期が終わると、指導教授である「親方」を囲む会が開かれ、親方の両脇に若手助教授が座り、大学院生や研修生も同席する。兄弟子たちは親方の苦労話を引き出そうと質問し、親方は武勇伝を延々と語り、若手はお世辞笑いや相槌を打ちながら聞く。

岡田 絵に描いたような「しがらみ」ですよね。かつてはそういうものが当たり前のように存在しました。それこそ、無言の圧力で人を動員したり、隣組のように監視し合ったり。

下元 時代は変わり、昨今では「デジタルしがらみ」と呼ぶべきものも出現しています。SNSやビジネスチャットツールでは、その場に最適化された振る舞いが求められます。

岡田 うちの娘はまだ中1ですが、クラスLINEがまさに「しがらみ」状態です。誰もが自身の"安全保障"に徹し、問題が起きても無反応で様子を窺っている。今でも人間関係の維持コストは決して低くありません。

「しがらみ」の価値をパラフレーズせよ

下元 面倒さを感じながらも、上の世代は「しがらみ」を受けいれてきました。そもそも人はなぜしがらむのでしょうか。

「1on1総研」編集長・下元陽

岡田 人はか弱い存在で、誰も一人では生きていけないからでしょう。コロナ禍では日常的な接触が叶わなくなりました。そんな中、スーパーでばったり会ったママ友同士が「会いたかった〜」と喜び合っていた光景をよく覚えています。

集い、話し、助け合い、感謝し、楽しく別れるーー私たちはこれが幸せな営みであることを経験的に知っている。言い変えれば、私たちには「しがらみ」を前向きに捉えられる感覚があり、集える場と適切な機会があれば、自然にしがらみます。ところが、それが仕事や義務になってしまうと、途端に皆、距離を置きたくなってしまう。

下元 距離を置きたくなる気持ちは理解できます。働き方やライフスタイルの選択肢が豊富になったことで、自由の制約を想起させる「しがらみ」がより窮屈に感じやすくなっているのではないでしょうか。

岡田 そういう側面もあるでしょう。当然、今どきの若者は後ろ向きに受け止める。「僕たちは無力で弱い存在なのに、なおもめんどくさいコミュニケーションや、関係を増やすことを強要してくるんですか?」と。そんな彼らに言葉を届けるなら、「僕らは無力で弱い存在“だからこそ”、しがらまないと生きていけないと思うよ」と翻訳し直さなければならない。

下元 しがらみの価値を見直すパラフレーズが必要である、と。

岡田 これは日本語の貧しさとも関係しますが、友達のようで友達ではない知り合いなど、私たちの周りには呼び名のない関係がたくさん存在します。間柄に名前はないけれど、赤の他人ではない。我々はそういう多様な人間関係の中でしがらんで生きている。組織の人間関係にも同じことが言えるでしょう。それを適切に分節化する言葉があまりないのです。

言語を通じて、その状態が脳内で描けるようになると、互いに少しずつ協力し合いながら生きていく「コオペレーション(Cooperation)」の可能性が想像できるようになります。

下元 コオペレーション、ですか。あまり耳慣れない言葉ですね。

岡田 端的にいえば「協働」です。世間でよく使われる「コラボレーション」は得意なものを持ち寄ること。これは足し算になりがちです。

協働は違います。5人集まれば、助け合いを通じて、5倍や10倍の力が生まれていく。かつてのドラマ『北の国から』では、互いに労力を提供し合うことを意味する「手間返し」という言葉が出てきますが、まさに協働と言えるかもしれません。

下元 協働で得られる豊かさを体験的に理解できれば、「しがらみ」と共に生きることを前向きに捉えられるかもしれませんね。

岡田 僕はPTAをそういう場にしたいと思っていて。今年から息子が通う中高一貫校でPTA会長を務めていますが、「地上にこんなにも何もやらない会長が存在したのか」というくらい、何もしていません(笑)。PTAは「大人の原っぱ」だから、みんなで遊ぶんだと。

 「こんな面倒なことが起きているんです」とママたちから相談を受けたら、「大丈夫。副校長には俺から連絡入れとくから」と軽く処理する。メンバーの仕事は増やさない。

下元 じゃあ、皆さん、何をやるんですか?

岡田 だから、遊ぶんです(笑)。前会長と一緒に「サポーターズ」というPTAとは別の組織も作りました。山登り、料理、カラオケなど、いろんなサークルがあります。僕は料理サークルのリーダーなので、マイ中華包丁を研いで準備しています(笑)。

多くのママ・パパが「子供のことには関わりたいけど、PTAは小学校時代の悪いイメージがあって……」と躊躇する。その先入観を取り払うために、「大人の原っぱ」とパラフレーズして、集まりやすくしました。「もうここは違うエリアなんだよ」と。

結局、一人ひとりの力を引き出して、皆で幸せになれるかどうか。それこそが人が「しがらむ」ことの本質的価値だと思います。みんな「しがらむこと」の幸福をちゃんと知っているからです。

‍(構成:下元陽、編集協力:樫本倫子、撮影:南 阿沙美)

🔹インタビュー前編では民主主義の専門家として岡田教授に合意形成に必要な条件を聞いています。

『私たちはなぜ「しがらみ」を必要とするのか。「名もなき人間関係」の意外な価値』

🔹NewsPicksパブリッシング創刊編集長・井上慎平さんと組織における「しがらみ」について価値を問い直した回もぜひご覧ください。
『組織の「しがらみ」から考える、職場の評価と働きがい』

「面倒なことに巻き込またくない」若者たち

下元 組織の人間関係が変化する中、あらゆる業界で風通しの良さが求められ、「しがらみ」と呼ばれるものは存在感を失いつつあります。歓迎すべきこともある一方で、支え合いの土台となる人間関係まで希薄化されているような感覚もあり、改めて「しがらみ」の価値を問い直したいと考えています。

岡田 若い人は「しがらみ」が嫌いでしょうね。でも、その気持ちはよくわかります。ゼミが終わって、教え子たちと食事に行くとよくあることですが、一軒目を出て、時計を見たら20時50分。彼らは二次会に行くだろうから、補助金を渡そうとしたら、「明日試験があるので帰ります」。私が驚いていると、「僕ら、飲み会にはあらゆるコスト計算して臨みますから」と畳み掛けてくる(笑)。

こうした若者たちが、今どんどん社会に出ています。彼らは自分のペースを確立している。「しがらみ」と聞けば、「面倒なことに巻き込まれる」と脳内で変換されるでしょうね。

下元 かく言う岡田先生も若かりし頃に面倒な「しがらみ」に巻き込まれていたことを著書で明かされています。

学期が終わると、指導教授である「親方」を囲む会が開かれ、親方の両脇に若手助教授が座り、大学院生や研修生も同席する。兄弟子たちは親方の苦労話を引き出そうと質問し、親方は武勇伝を延々と語り、若手はお世辞笑いや相槌を打ちながら聞く。

岡田 絵に描いたような「しがらみ」ですよね。かつてはそういうものが当たり前のように存在しました。それこそ、無言の圧力で人を動員したり、隣組のように監視し合ったり。

下元 時代は変わり、昨今では「デジタルしがらみ」と呼ぶべきものも出現しています。SNSやビジネスチャットツールでは、その場に最適化された振る舞いが求められます。

岡田 うちの娘はまだ中1ですが、クラスLINEがまさに「しがらみ」状態です。誰もが自身の"安全保障"に徹し、問題が起きても無反応で様子を窺っている。今でも人間関係の維持コストは決して低くありません。

「しがらみ」の価値をパラフレーズせよ

下元 面倒さを感じながらも、上の世代は「しがらみ」を受けいれてきました。そもそも人はなぜしがらむのでしょうか。

「1on1総研」編集長・下元陽

岡田 人はか弱い存在で、誰も一人では生きていけないからでしょう。コロナ禍では日常的な接触が叶わなくなりました。そんな中、スーパーでばったり会ったママ友同士が「会いたかった〜」と喜び合っていた光景をよく覚えています。

集い、話し、助け合い、感謝し、楽しく別れるーー私たちはこれが幸せな営みであることを経験的に知っている。言い変えれば、私たちには「しがらみ」を前向きに捉えられる感覚があり、集える場と適切な機会があれば、自然にしがらみます。ところが、それが仕事や義務になってしまうと、途端に皆、距離を置きたくなってしまう。

下元 距離を置きたくなる気持ちは理解できます。働き方やライフスタイルの選択肢が豊富になったことで、自由の制約を想起させる「しがらみ」がより窮屈に感じやすくなっているのではないでしょうか。

岡田 そういう側面もあるでしょう。当然、今どきの若者は後ろ向きに受け止める。「僕たちは無力で弱い存在なのに、なおもめんどくさいコミュニケーションや、関係を増やすことを強要してくるんですか?」と。そんな彼らに言葉を届けるなら、「僕らは無力で弱い存在“だからこそ”、しがらまないと生きていけないと思うよ」と翻訳し直さなければならない。

下元 しがらみの価値を見直すパラフレーズが必要である、と。

岡田 これは日本語の貧しさとも関係しますが、友達のようで友達ではない知り合いなど、私たちの周りには呼び名のない関係がたくさん存在します。間柄に名前はないけれど、赤の他人ではない。我々はそういう多様な人間関係の中でしがらんで生きている。組織の人間関係にも同じことが言えるでしょう。それを適切に分節化する言葉があまりないのです。

言語を通じて、その状態が脳内で描けるようになると、互いに少しずつ協力し合いながら生きていく「コオペレーション(Cooperation)」の可能性が想像できるようになります。

下元 コオペレーション、ですか。あまり耳慣れない言葉ですね。

岡田 端的にいえば「協働」です。世間でよく使われる「コラボレーション」は得意なものを持ち寄ること。これは足し算になりがちです。

協働は違います。5人集まれば、助け合いを通じて、5倍や10倍の力が生まれていく。かつてのドラマ『北の国から』では、互いに労力を提供し合うことを意味する「手間返し」という言葉が出てきますが、まさに協働と言えるかもしれません。

下元 協働で得られる豊かさを体験的に理解できれば、「しがらみ」と共に生きることを前向きに捉えられるかもしれませんね。

岡田 僕はPTAをそういう場にしたいと思っていて。今年から息子が通う中高一貫校でPTA会長を務めていますが、「地上にこんなにも何もやらない会長が存在したのか」というくらい、何もしていません(笑)。PTAは「大人の原っぱ」だから、みんなで遊ぶんだと。

 「こんな面倒なことが起きているんです」とママたちから相談を受けたら、「大丈夫。副校長には俺から連絡入れとくから」と軽く処理する。メンバーの仕事は増やさない。

下元 じゃあ、皆さん、何をやるんですか?

岡田 だから、遊ぶんです(笑)。前会長と一緒に「サポーターズ」というPTAとは別の組織も作りました。山登り、料理、カラオケなど、いろんなサークルがあります。僕は料理サークルのリーダーなので、マイ中華包丁を研いで準備しています(笑)。

多くのママ・パパが「子供のことには関わりたいけど、PTAは小学校時代の悪いイメージがあって……」と躊躇する。その先入観を取り払うために、「大人の原っぱ」とパラフレーズして、集まりやすくしました。「もうここは違うエリアなんだよ」と。

結局、一人ひとりの力を引き出して、皆で幸せになれるかどうか。それこそが人が「しがらむ」ことの本質的価値だと思います。みんな「しがらむこと」の幸福をちゃんと知っているからです。

‍(構成:下元陽、編集協力:樫本倫子、撮影:南 阿沙美)

🔹インタビュー前編では民主主義の専門家として岡田教授に合意形成に必要な条件を聞いています。

『私たちはなぜ「しがらみ」を必要とするのか。「名もなき人間関係」の意外な価値』

🔹NewsPicksパブリッシング創刊編集長・井上慎平さんと組織における「しがらみ」について価値を問い直した回もぜひご覧ください。
『組織の「しがらみ」から考える、職場の評価と働きがい』

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執筆者
下元陽

「1on1総研」編集長。クリエイターチーム「BLOCKBUSTER」、ミクシィ、朝日新聞社、ユーザベースを経て2025年KAKEAI入社。これからの人間のつながり方に関心があります。

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