「従業員エンゲージメントは企業価値にどう効くか?」──データで探る“人的資本経営”のリアル

「従業員エンゲージメントは企業価値にどう効くか?」──データで探る“人的資本経営”のリアル

「従業員エンゲージメントは企業価値にどう効くか?」──データで探る“人的資本経営”のリアル

2023 年から企業の「人的資本」について、有価証券報告書において一部項目の開示が義務化された。有価証券報告書や統合報告書には「従業員エンゲージメント」という指標が躍るが、実態は「スコアを載せて終わり」が大半だ。今回は、エンゲージメントスコアと企業価値の相関に注目。大和総研の「人的資本経営と従業員エンゲージメント 従業員エンゲージメントの開示から企業価値との関係を探る」のレポートから、エンゲージメントと企業価値の関係性を考える。

エンゲージメントスコアの開示は進んだが……

人的資本経営に関する「伊藤レポート」を経済産業省が公表したのは2020年9月のこと。2023年の人的資本開示義務化以降、上場企業は人的構成や多様性、能力開発などさまざまな人的資本に関する開示を行ってきた。中でも、機関投資家は人的資本投資にも注目しており、従業員に対する公正な報酬制度や適切な評価、人材育成の体制が整っているかどうかが、企業の持続的成長を支える重要な要素として注目されている。「従業員エンゲージメント」は、人的資本経営における重要な指標の一つとなり、その数字の向上についてIR資料でうたう企業も見られるようになった。

TOPIX100企業を対象にした大和総研の調査レポート「人的資本経営と従業員エンゲージメント 従業員エンゲージメントの開示から企業価値との関係を探る」によると、定性的・定量的を問わず、有価証券報告書または統合報告書に従業員エンゲージメントに関する記載が見られた企業は 94 社あり、エンゲージメントスコアを開示している企業は約6割あった。多くの会社が従業員エンゲージメントの重要性を示していることが見て取れる。

他方で、従業員エンゲージメントと他の指標との相関分析を開示している会社はわずか1割。人的資本と企業価値の関係性を示すことの難しさがうかがえる。

また、エンゲージメントスコアを役員報酬の指標にしている企業は31社あった。この社数は過去2年の間に5倍以上増加しており、これは従業員エンゲージメントが経営インセンティブに転じ始めた兆しだと言えよう。

エンゲージメントと企業価値が連動するという研究は、Gallup社の調査やロンドン・ビジネス・スクールのAlex Edmans教授の研究などに詳しい。ただ、エンゲージメントと企業価値の関係性を検証し、実際に社内で活用して分析している企業は、国内ではごくわずかなのである。

この人的資本開示の状況について、大和総研・マネジメントコンサルティング部長主席コンサルタントの元秋京子氏は、「人的資本に係る開示の動きが高まって間もないこともあり、各企業は適切な情報開示の在り方を模索している段階にあると言えます。そうした試行錯誤の中で、従業員エンゲージメントスコアを主要な開示項目のひとつとして位置づける動きも見受けられます」と話す。

一方、同部コンサルタントの梅宮由紀氏は「現時点では多くの企業がスコア開示を行っている。今後はデータ蓄積・データ収集を進め、さらなる活用に向けて移行することも考えられます」と分析している。大和総研がこのリサーチを開始したのも、従業員エンゲージメントと企業価値との間に何らかの関係を示す開示が増えてきたことが契機となっている。

エンゲージメントスコア分析に見る三つの特徴  

では、スコア分析を開始している企業はどのような分析をしているのか。同レポートでは、従業員エンゲージメントの相関分析を行っている企業を3パターンに分類している。順に見ていこう。

従業員エンゲージメントの相関分析パターン

相関分析パターン①エンゲージメント調査内での相関分析

このパターンは、エンゲージメント調査の結果を分析し、どの要素が従業員エンゲージメントに強く影響しているかを明らかにするやり方だ。

一例としてNTTグループが挙げられる。同社は、「戦略浸透」「成長機会」「働きやすい環境」「多様性の受容」という四つの要素を取り上げ、以下の二つの指標を組み合わせて分析している。

  • エンゲージメントとの相関係数(四つの要素がどれだけ従業員エンゲージメントに影響しているか)
  • 肯定的回答率(四つの要素に対する従業員の評価)

これらを図にマッピングすることで、「維持すべき強み」と「優先的に改善すべき領域」を特定。例えば、相関係数が高く肯定的回答率も高い要素は「維持エリア」として継続強化し、相関係数は高いが肯定的回答率が低い要素は「要改善エリア」に位置付け、昇給・昇格制度の見直しやキャリアコンサルティング機能の充実、経営層キャラバンの拡大など具体的な人事施策を展開している。

エンゲージメント項目の関係(NTTグループ)

このレポートから推察すると、これからエンゲージメント調査に臨む企業は、まずはエンゲージメント調査の項目を施策に落とし込めるよう設計する必要がありそうだ。ただ数字を取るだけでなく、相関関係を調査でき、それによって何を改善すべきなのかがあぶり出せるように調査を設計することが重要である。

相関分析パターン②エンゲージメントと人事施策の相関分析

このパターンは、企業が実施している人事施策が実際にエンゲージメント向上に効果があるかを検証するものだ。企業はエンゲージメントを経営指標に設定し、その向上のために様々な施策を実施しているが、さらに一歩進んで、これらの施策とエンゲージメントスコアの相関を分析・開示している。

大和総研がこのパターンの事例として挙げるのは、SOMPOホールディングス(以下、SOMPO)だ。SOMPOは従業員エンゲージメントをグループ共通のKPIとしている。そして、エンゲージメント向上のために「MYパーパスの言語化」や、MYパーパスを中心に置いた上司との対話による「MYパーパスの深掘り」、対話を行う上司を対象とした「MYパーパス1on1研修」を展開する。

SOMPOの分析結果によれば、「MYパーパスにもとづく対話」(1on1)を実践している組織ほど、エンゲージメントが高まる傾向が明らかになった

1on1とエンゲージメントスコアの関係(SOMPOホールディングス)

従業員エンゲージメントが重要であることはわかっていても、その向上のために行った人事施策の有効性をデータで捉える企業は意外と少ない。エンゲージメント調査を活用し、人事施策を「やって終わり」にせず、効果を測定し、結果が出る施策を見極めて強化するというサイクルが、今後重要になっていくということだろう。

相関分析パターン③エンゲージメントと業績の相関分析

このパターンは、エンゲージメントと業績との相関を分析しているケースだ。「どのエンゲージメント要素がどの業績指標に影響するか」という明確な仮説を最初に立てておく必要がある点で、難易度の高い調査だと考えられる。

この相関分析を行い、結果を開示している企業が味の素グループ(以下、味の素)だ。味の素は、人材投資に対する成果をモニタリングする指標として、従業員一人当たり生産性を設定し、この向上のために推進すべき3本柱の一つにエンゲージメントを定めた。同社はエンゲージメントスコアを2018年から開示しているが、他社に先駆けエンゲージメントスコアを「生産性」という業績指標と紐づけ、分析も行っている。

味の素の統合報告書「ASVレポート」において興味深いのは、「エンゲージメントの要素と相関する業績指標は変化する」という点だ。

「ASVレポート2022」以降、同社はエンゲージメントの要素を「志への共感」「顧客志向」「ASV 自分ごと化」「チャレンジの奨励」「インクルージョンによる共創」「生産性向上」「イノベーション創出」「社会·経済価値の創出」という八つのカテゴリーに分類している。2022年では「志への共感」「顧客志向」「生産性向上」「イノベーション」が「一人当たりの売上高・事業利益」と相関していた。しかし、2024年の同レポートでは、「イノベーション」に代わって「公正な評価」が「一人当たりの売上高・事業利益」に相関すると記されている。

エンゲージメントと業績の関係(味の素グループ)

味の素は相関関係を具体的な相関係数で示し、その強弱まで明確化した。これはエンゲージメントスコアを通り一遍に取っていてもできない。

このような分析を可能にするには、どうすればよいのか。元秋氏によれば、このような高度な分析を行える背景にはROIC(投下資本利益率)経営のように、要素分解して可視化したロジックツリーとして企業価値との関係性を認識している点をあげている。

エンゲージメントを高めることが最終目的ではなく、企業目的の達成・企業価値を向上するためのプロセスの中に、エンゲージメントの要素がある。エンゲージメントを向上する人事施策の1つとして、例えば1on1があるとするならば、まずは全体像としての企業ビジョン・価値創造ストーリー等を共有しながら、企業価値や経営戦略と紐づけて人事施策を進めていくことが重要となります」(元秋氏)

エンゲージメント相関分析の5ステップ  

ここまでエンゲージメント調査と社内指標との相関関係を見てきたが、いずれも関係性を示す結果が見られた。他方、エンゲージメント調査を行ってはいても、その数字を生かし切れていない企業が多いこともわかった。

実際にエンゲージメントと経営指標との相関を考えるために、どんなステップを踏むべきだろうか。大和総研の調査を踏まえ、編集部からはこのようなステップを読者に提案する。

エンゲージメント相関分析の5ステップ

①目的と仮説を設定する

エンゲージメント調査を始める前に、最終的にどんな経営課題と紐づけるために調査をするのかをよく検討しよう。つまり、経営課題とリンクさせた「目的」を定めるところからスタートするのが大切だ。

調査の「目的」が企業価値に直結する経営課題と紐づいていないと、いずれ「エンゲージメントスコアを高める」こと自体が目的になりかねない。たとえば、「どうしたら従業員のモチベーションが上がるかを知りたい」ということを調査の「目的」にしてはいけない。「従業員のモチベーション」はさらなる上位概念(重要な経営課題)に良い影響を与えるための一つの指標に過ぎないからだ。

そして、紐づける経営課題が定まったら、エンゲージメント調査のなかでどんな要素が影響するか、仮説を立案する。とにかく、このタイミングで仮説を立てることが重要である

例えば「従業員の労働生産性が低い」という経営課題の要因を特定するための調査を行う場合。「従業員のモチベーションの低さ」のほか、「業務環境が整っていない」「上司やチームからのサポートが得られない」など、さまざまな要因が考えられる。ここで、「従業員の生産性の低さはモチベーション不足にある」という仮説を初めに立てておくと、この後の仮説検証のプロセスでさまざまなトライ&エラーが可能になるだろう。

②エンゲージメント調査を設計・実施

半期または年1回の全社サーベイを①で立てた仮説に基づいて設計する。経営戦略と連動した調査項目を含め、後の分析ステップを見据えた設計にするのが望ましい。なお、短期間の変化を確認したい場合は、必要に応じてパルス調査*を実行しよう。

*簡易な質問を短期間かつ高頻度で実施する調査手法のこと。従業員の満足度や心の健康状態を把握するために行う

③エンゲージメント調査を分析して課題解決の優先度を決定

①で立てた仮説を念頭に起きつつ、調査データを分析し、目標達成に最も影響を与える要因(キードライバー)を特定する。

そして、NTTグループの事例のように、 相関係数×肯定回答率で4象限に配置し、「維持すべき強み」と「改善すべき課題」を明確にしよう。この段階で、課題に対応する人事施策も想定しておく。  

④人事施策の効果検証サイクルを回す

③で見えてきた課題に対して人事施策を行い、その前後でエンゲージメントスコアを測定して効果を検証する。実施した施策がエンゲージメントスコアを向上させているかを継続的に検証し、⑤に活用できるデータを集めておこう。

なお、改めての注意になるが、このタイミングで「1on1」「キャリア支援」「ハイブリッド勤務」など具体的な人事施策を投入して効果検証を行うため、②の時点でその準備が必要だ。

⑤業績指標と合わせて仮説検証する

最終段階として、エンゲージメント関連データと業績指標との相関を分析する。①で定めた「目的」に関わる業績指標と④で得たデータを組み合わせることで、相関関係が分析できるはずである。仮説と異なる結果が出た場合は、データ収集を継続しながら、③④のサイクルで検証を重ねていく。

味の素の例のように、エンゲージメントの各要素が業績に与える影響の経年変化まで分析できることが理想的だ。①はそれを可能にするためのステップである。

人的資本経営を「本物」にさせるためには

「エンゲージメントスコアと組み合わせるべき最適な指標に、正解はありません」と梅宮氏は言う。 会社固有の経営課題に応じた指標とエンゲージメントスコアを掛け合わせることで、人的資本経営の道が開かれるかもしれない。

今回の調査に加え、TOPIX100以外の企業も含めた調査では、下記のような指標とエンゲージメントスコアを掛け合わせる事例が確認されたという。

・労働生産性
・1on1の回数・頻度
・ストレスチェックのスコア
・離職率
・お客様満足度

エンゲージメントスコアが企業価値にどう結びつくかは、データを取ってみなければわからない。「お客様満足度」と掛け合わせた結果、「エンゲージメントの高いスタッフが対応したお客様ほど満足度が高い」という傾向を見つけ出した企業もある。

今後ますます人的資本の重要性は増していく。無形資産であっても、ステークホルダーに対して定量的なデータをもって説明していく機運が高まっている。しかし元秋氏は、多様な要素で形成される株価に対して、人的資本・人事施策の効果を見出すことの難しさを指摘する。

「エンゲージメントスコアは主観的な要素が含まれるため、他データ・施策効果を含めた補完をしていくことで、経営指標としての信頼性をより高めていくことができると考えられます。企業は人的資本に関する膨大なパラメータの中から、実効的に企業価値と関連性の高い指標を見極め、重要度に応じて軽重をつけていくことが有用です。各社が自社の経営課題に照らし仮説を立て、その仮説を検証し、検証結果に基づいて調整していくプロセスが重要となるでしょう」(元秋氏)

このように複雑な分析の先に求められるのは、シンプルで明確なメッセージだ。機関投資家や従業員に効果的に伝えるためには、複雑なデータを定量的かつわかりやすい形で示す必要がある。従業員エンゲージメントは、スコアそのものが重要なわけではない。長期的に、多面的にデータを紡ぎ、仮説と数字を往復させる設計そのものが、人的資本経営を「本物」にするはずだ。

Kakeaiサービス資料ダウンロード
Kakeaiサービス資料ダウンロード

関連記事