
「組織負債」は、好調のときにしか返済できない。マネーフォワード早川氏が語る、人事の本当の勝負所
「組織の歪みは、業績が傾いてからでは直せない」そう語るのは、マネーフォワードのPeople Forward本部 副本部長の早川直樹氏だ。
急成長のなかで組織にたまっていく歪みを、早川氏は「組織負債」と呼ぶ。歪みを直すプロセスでは、組織に負荷がかかる。その負荷に耐えられるのは、事業に勢いと体力がある好調なときだと早川氏はいう。
ところが、先手を取って対応すべきだと頭ではわかっていても、実際に動ける組織は少ない。なぜ、動き出せないのか。事業畑を歩み、自ら会社を経営した経験も持つ早川氏の、異色のキャリアに裏打ちされた持論をお届けする。

株式会社マネーフォワード People Forward本部 副本部長
2005年、新卒でスタートアップに入社し、事業サイドでキャリアをスタート。2009年、ワークスアプリケーションズに転職し、人事へ。2014年、自ら会社を経営し事業売却を経験。その後、約300名規模のベンチャー企業で人事責任者を務め、2年目からは事業企画を兼務。2022年、マネーフォワード入社後はビジネスセグメントにおける立ち上げ期のHRBP室に加わり、室長を務める。現在は、People Forward本部(全社人事組織)の副本部長として、中途採用・HRBP領域を管掌。

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「組織負債は、好調のときにしか返済できない」これが私の持論です。
こう言うと、人事責任者の方には「そんなの百も承知だ」と思われるかもしれません。ただ、組織の誰もがわかっているわけではありませんし、人事だけが気づいていることでもない。気づくかどうかを分けるのは、職種ではなく、見通す先の長さです。
1年半から3年の時間軸で組織を捉えたとき、目指す未来が現状の延長線上にないことに気づかされることがあります。どこかで大きな手を打たなければ、理想と現実のギャップは埋められない、と。
問題は、そのギャップに気づいていても動けないことです。組織改善は往々にして、その時点で成果が出ているやり方の変更を伴います。一時的にパフォーマンスが下がり、リスクも生まれます。短期の成果を背負っている人がそれを引き受けるのは簡単ではありません。その結果、目の前の数字を守ることが優先されて、未来への投資は後回しになってしまう。
これは、意志の弱さや怠慢ではなく、好調なときだからこそ生まれる組織の力学です。その「構造の壁」を事業側と一緒にどう乗り越えるかに、人事の本当の勝負所があると考えています。
ただし、壁を越えた先にあるのは、危機感で全員が一致団結している状態ではありません。さまざまな意見やコンフリクトがあるなかで、未来から逆算した適切な打ち手を融合させていく。それが、組織にとって健全な状態だと思っています。


なぜ、高い壁を乗り越えてまで、好調時に組織負債を返済すべきなのか。理由は二つあります。
一つ目は、好調なときにしか取れない選択肢があるからです。業績が悪くなれば、従来のやり方を変えることを全体で合意しやすくなります。誰もが現状維持では未来がないと感じるからです。
ただ、そのときに打てる手は、マイナスに振れたものをゼロへ戻す対処が中心になります。追い込まれた局面では確実に効くとわかっている手段しか選べなくなるからです。組織負債の返済は、効くかどうかがすぐには見えない打ち手の積み重ねですから、不調時にはその選択肢自体が消えてしまいます。
一方、余力があるときは違います。たとえば、会社全体は好調でも、あるチームの数字が落ちてきたとき、足元だけを見ていると「現場の実行力が落ちている」という解釈になりがちですが、時間軸を少し延ばして捉えれば、市場が変わり始めた予兆かもしれないという見方も出てきます。

どちらが正しいかは、その場ではわかりません。だからこそ、結論を急がず、観測を続けてみる。そうして時間をかけているうちに、「確かにこちらの線はあるかもしれない」と見方が揃ってきて、一緒に現状変更に踏み出せる可能性が出てきます。その合意をつくるまでの時間的余裕の有無が、返済できるかどうかを分けるのです。
続いて二つ目ですが、組織負債には放っておくと気づかれないまま膨らみ続けるタイプの負債があります。それらが拡大すると事業の存続を脅かしますが、好調時であれば、その負債を見つけ出すことが可能です。
そもそも気づかれにくい負債とは、どのようなものか。端的に言えば、かつては組織の資産と位置付けられながら、事業環境の変化に伴い、いつのまにか負債になってしまったものを指します。
たとえば、エース社員に頼り切った体制を考えてみてください。その存在は間違いなく組織の財産です。ただ、属人化が進み過ぎれば、そのやり方を引き継げる人はいなくなり、組織としての学習能力は育ちません。エースの奮闘で業績が上がっている間は、その代償は覆い隠されたままですが、視点を変えれば、その体制が将来抱えることになるリスクが、はっきりと浮かび上がってきます。
企業が創業期に磨き上げた勝ちパターンについても、同じようなことが言えます。中小企業の顧客向けに鍛えた組織能力が、そのまま大企業相手に通用するとは限りません。顧客層や事業モデルが変われば、かつて正しかった打ち手が、そのまま足かせになることもあります。
こうした状態を負債と見るかどうかは、組織の中でも意見が分かれる上、資産をつくった人たちへの攻撃と受け取られかねないことから、気づいた人も言い出せず、結果として、組織全体で負債の共通認識を持つことが難しい側面があります。
では、気づきづらい負債をどう見極めるのか。私自身は、目の前の異変からではなく、「2、3年後の自分がいまの組織を見たら何が引っかかるだろうか」と想像することで、資産が負債化していく兆候を捉えるようにしています。

こうした見極めや、組織全体で負債の共通認識を持つことは、好調で余力があるときしかできません。事業が傾いてからでは、短期で確実に結果が出る打ち手を選ばざるを得ず、数年後を起点に現在を眺め直す余裕がありません。
しかも見極めたところで、この種の負債には「それは負債ではない」という反論がつきまといます。認識を揃えるには時間がかかりますから、実際に返済へ動けるのも、時間のある好調なときだけです。
さらには、業績が下がり始めると、人はかつての勝ちパターンへ戻ろうとします。しかし、返すべき負債は、そのやり方そのものです。傾けば傾くほど、この種の負債は返済から遠ざかり、いずれボトルネックとして牙をむきます。傾いた組織には、その痛みに耐える体力が残っていません。だからこそ、返済は好調なうちに済ませておくしかないのです。

この持論に至ったのは、以前の職場で、いわゆる「300人の壁」を経験したからです。組織がこの規模に達すると、階層がもう一段増え、複数の事業が並び立つようになります。それぞれの現場に裁量を持たせながら、全体としての一体感も保つ。この匙加減が急に難しくなるタイミングが、300人という規模なのだと思います。私の当時の所属先も、まさにその渦中にありました。
その会社が成長軌道に乗っていた時期は、依頼が殺到し、対応が追いつかないほどの状況でした。案件に応えた分だけ売上が伸びていく。だからこそ、とにかく速く、たくさん動ける人材が会社の資産でした。
ただ、そんな市場を競合が放っておくはずもありません。参入が相次ぎ、量をこなすだけでは売上が伸びなくなってきました。私がこの会社に入ったのは、そんな踊り場のタイミングです。
当時の社内は、現場の実行速度が落ちているだけで、勢いを取り戻せば再成長できると見ていました。私も入社したての頃は同じ見立てで、1年目は人事の課題を一つずつ解いていったのですが、どうも人事だけの問題ではない。そこで2年目は事業企画を兼務し、事業の側から組織を眺め直して、ようやく腑に落ちました。
速く動ける人を集めて、量で勝つというやり方は、市場の変化とともに、いつのまにか負債に変わっていたのです。けれども、目の前の事業に懸命で、私を含め誰もその事態をそう捉えられていませんでした。
問われるのは、会社が次の段階に入るときに、それまでの勝ちパターンを切り替えられるかどうかです。その職場は伸びていた時期に手を打てたのかもしれません。ですが、実行に移せませんでした。勢いが止まってから突きつけられる苦しさを、私はそのとき身をもって知りました。


ここまでの話には、「それはあなたが事業サイドを経験してきたからできる見立てで、人事一筋の人には難しいのではないか」という反論があるかもしれません。
事業から人事に移ってきた人間の目には、組織は「管理し、統制する対象」ではなく、「投資して、育てて増やす資産」に映ります。この見方は、事業の現場で身につきました。
ただ、その角度の視点がないと、組織負債を見極められないわけではありません。
事業出身の私が比較的気づきやすいのは、「この事業は今後こう変わっていくから、今のうちに組織をこう寄せておくべきだ」という、事業の先読みから逆算する類の兆しですが、人事キャリアを積んだ方は、「組織がこの規模になると、この制度は機能しなくなる」といった、制度そのものに内在するひずみに敏感です。組織が大きくなったときに制度のどこが壊れるかを見抜く感度では、私など到底及びません。入り口が違えば、見えるものが違うというだけのことです。
もう一つ、「構造は理解できるが、まだ困っていない経営陣や事業部長と危機感を揃えるのは、人事の努力だけでどうにかなる話ではない」という反論も想定されます。
業績がいいときに組織改善の合意をつくるのは、火消しの提案よりもはるかに難しい。困っていない相手に「危機感を持ってください」と迫っても響きません。だからこそ、危機感を煽るのではなく、「なぜいまやる必要があるのか」を示す力が問われます。

たとえば「エンゲージメントスコアが下がっています。上げませんか」という提案は、人事を主語にした話です。事業側からすれば「そんなことは知っている」で終わってしまう。事業の状況によっては、スコアが下がることを覚悟で腹をくくるべき局面もあるからです。
同じスコアでも、「いまの事業状況なら、ここまでは耐えられそうですか。この水準を割ると、他の組織ではこんなことが起き始めます」と事業の文脈で入れば、会話はまったく変わります。
先回りの提案は、まだ起きていないことへの備えですから、的中率は3割か4割でいい。むしろ百発百中になっていたら、それは問題が顕在化してから動いているだけなので、対応が遅すぎるのです。また、一度は響かなかった提案も無駄にはなりません。しばらくして事業部長から「最近これが気になっている」と相談が来たら、お蔵入りの資料をその時の状況に合わせて書き直して出せばいい。
提案が通らないとき、その理由を相手や構造の壁のせいにして終わらせたくはありません。通らないのは、人事がまだ「経営の言語」を持てていないからではないか。私自身への自戒を込めて、そう思っています。

事業と人事の連携というテーマは、5、6年前と比べれば増えてきました。ただ、人事がどれだけ努力しても、事業と組織の間にある断絶がすべて解消するわけではありません。事業側から必要とされていなければ、人事の取り組みは「投資」ではなく「コスト」として扱われてしまいます。私自身、マネーフォワードに入った当時、現場からは「とにかく採用さえしてくれればいい」という、条件付きの期待を持たれていましたが、採用の実績を積み重ねるなかで、少しずつ相談される範囲が広がっていきました。
人事が視点と役割を広げ、この持論のとおりに動けるようになると、経営や事業部長との会話が、火消しの相談から、次の成長に向けた投資の相談へと変わります。

そういう先回りできる人はどうすれば増えるのか。仮説を立てる技術なら、トレーニングで磨けます。最近はAIが壁打ち相手になってくれるので、一人でも質の高い仮説は立てやすくなりました。
難しいのは、姿勢です。目の前でトラブルが起きていれば、誰でも動けます。しかし、まだ何も問題が起きておらず「いまでなくてもいいか」と思えるような場面で、先回りの提案づくりに自分の時間と労力を割けるかどうか。その提案が実際に採用される保証も、自分の評価につながる保証もありません。しかも、そのための時間が特別に用意されているわけではなく、通常業務の合間にやることになります。
「そこまで自分の時間を犠牲にしてやる意味があるのか」と、聞かれることがあります。こうした行動を起こす際、身を削っている感覚があったら、続けられないと思います。私は、昔から、いいなと思うチームが勝つところを見たくて動いてきた人間なので、組織改善も「推し活」に近い感覚で取り組んでいます。好きでやっていますし、人に求めるものでもないと思っています。
ただ、そういう先回りの積み重ねは、3年くらい経つとはっきりと差が出ます。まっすぐ伸びているように見える事業も、途中の踊り場で誰かが本業の合間を縫って労力や時間を投じ、現場のリーダーたちが予防策を取り始めたから、そう見えているだけかもしれない。そういう人が、人事にも現場にも何人いるかで、会社の成長曲線は変わってきます。
私が目指したいのは、組織が投資の対象として語られる会社です。事業計画を議論するときに、その戦略をどんな組織で実行するのか、どの部門の人材を優先的に強化すべきかまでが、同じテーブルで話される。人事が呼ばれてから動くのではなく、最初からその議論の中にいる状態です。
それが当たり前になれば、持続的に成長できる会社は増える。私自身も、まずは自分のいまの持ち場で、一つずつ実践を積み重ねていきます。

(構成:樫本倫子、撮影:黒羽政士)

「組織負債は、好調のときにしか返済できない」これが私の持論です。
こう言うと、人事責任者の方には「そんなの百も承知だ」と思われるかもしれません。ただ、組織の誰もがわかっているわけではありませんし、人事だけが気づいていることでもない。気づくかどうかを分けるのは、職種ではなく、見通す先の長さです。
1年半から3年の時間軸で組織を捉えたとき、目指す未来が現状の延長線上にないことに気づかされることがあります。どこかで大きな手を打たなければ、理想と現実のギャップは埋められない、と。
問題は、そのギャップに気づいていても動けないことです。組織改善は往々にして、その時点で成果が出ているやり方の変更を伴います。一時的にパフォーマンスが下がり、リスクも生まれます。短期の成果を背負っている人がそれを引き受けるのは簡単ではありません。その結果、目の前の数字を守ることが優先されて、未来への投資は後回しになってしまう。
これは、意志の弱さや怠慢ではなく、好調なときだからこそ生まれる組織の力学です。その「構造の壁」を事業側と一緒にどう乗り越えるかに、人事の本当の勝負所があると考えています。
ただし、壁を越えた先にあるのは、危機感で全員が一致団結している状態ではありません。さまざまな意見やコンフリクトがあるなかで、未来から逆算した適切な打ち手を融合させていく。それが、組織にとって健全な状態だと思っています。


なぜ、高い壁を乗り越えてまで、好調時に組織負債を返済すべきなのか。理由は二つあります。
一つ目は、好調なときにしか取れない選択肢があるからです。業績が悪くなれば、従来のやり方を変えることを全体で合意しやすくなります。誰もが現状維持では未来がないと感じるからです。
ただ、そのときに打てる手は、マイナスに振れたものをゼロへ戻す対処が中心になります。追い込まれた局面では確実に効くとわかっている手段しか選べなくなるからです。組織負債の返済は、効くかどうかがすぐには見えない打ち手の積み重ねですから、不調時にはその選択肢自体が消えてしまいます。
一方、余力があるときは違います。たとえば、会社全体は好調でも、あるチームの数字が落ちてきたとき、足元だけを見ていると「現場の実行力が落ちている」という解釈になりがちですが、時間軸を少し延ばして捉えれば、市場が変わり始めた予兆かもしれないという見方も出てきます。

どちらが正しいかは、その場ではわかりません。だからこそ、結論を急がず、観測を続けてみる。そうして時間をかけているうちに、「確かにこちらの線はあるかもしれない」と見方が揃ってきて、一緒に現状変更に踏み出せる可能性が出てきます。その合意をつくるまでの時間的余裕の有無が、返済できるかどうかを分けるのです。
続いて二つ目ですが、組織負債には放っておくと気づかれないまま膨らみ続けるタイプの負債があります。それらが拡大すると事業の存続を脅かしますが、好調時であれば、その負債を見つけ出すことが可能です。
そもそも気づかれにくい負債とは、どのようなものか。端的に言えば、かつては組織の資産と位置付けられながら、事業環境の変化に伴い、いつのまにか負債になってしまったものを指します。
たとえば、エース社員に頼り切った体制を考えてみてください。その存在は間違いなく組織の財産です。ただ、属人化が進み過ぎれば、そのやり方を引き継げる人はいなくなり、組織としての学習能力は育ちません。エースの奮闘で業績が上がっている間は、その代償は覆い隠されたままですが、視点を変えれば、その体制が将来抱えることになるリスクが、はっきりと浮かび上がってきます。
企業が創業期に磨き上げた勝ちパターンについても、同じようなことが言えます。中小企業の顧客向けに鍛えた組織能力が、そのまま大企業相手に通用するとは限りません。顧客層や事業モデルが変われば、かつて正しかった打ち手が、そのまま足かせになることもあります。
こうした状態を負債と見るかどうかは、組織の中でも意見が分かれる上、資産をつくった人たちへの攻撃と受け取られかねないことから、気づいた人も言い出せず、結果として、組織全体で負債の共通認識を持つことが難しい側面があります。
では、気づきづらい負債をどう見極めるのか。私自身は、目の前の異変からではなく、「2、3年後の自分がいまの組織を見たら何が引っかかるだろうか」と想像することで、資産が負債化していく兆候を捉えるようにしています。

こうした見極めや、組織全体で負債の共通認識を持つことは、好調で余力があるときしかできません。事業が傾いてからでは、短期で確実に結果が出る打ち手を選ばざるを得ず、数年後を起点に現在を眺め直す余裕がありません。
しかも見極めたところで、この種の負債には「それは負債ではない」という反論がつきまといます。認識を揃えるには時間がかかりますから、実際に返済へ動けるのも、時間のある好調なときだけです。
さらには、業績が下がり始めると、人はかつての勝ちパターンへ戻ろうとします。しかし、返すべき負債は、そのやり方そのものです。傾けば傾くほど、この種の負債は返済から遠ざかり、いずれボトルネックとして牙をむきます。傾いた組織には、その痛みに耐える体力が残っていません。だからこそ、返済は好調なうちに済ませておくしかないのです。

この持論に至ったのは、以前の職場で、いわゆる「300人の壁」を経験したからです。組織がこの規模に達すると、階層がもう一段増え、複数の事業が並び立つようになります。それぞれの現場に裁量を持たせながら、全体としての一体感も保つ。この匙加減が急に難しくなるタイミングが、300人という規模なのだと思います。私の当時の所属先も、まさにその渦中にありました。
その会社が成長軌道に乗っていた時期は、依頼が殺到し、対応が追いつかないほどの状況でした。案件に応えた分だけ売上が伸びていく。だからこそ、とにかく速く、たくさん動ける人材が会社の資産でした。
ただ、そんな市場を競合が放っておくはずもありません。参入が相次ぎ、量をこなすだけでは売上が伸びなくなってきました。私がこの会社に入ったのは、そんな踊り場のタイミングです。
当時の社内は、現場の実行速度が落ちているだけで、勢いを取り戻せば再成長できると見ていました。私も入社したての頃は同じ見立てで、1年目は人事の課題を一つずつ解いていったのですが、どうも人事だけの問題ではない。そこで2年目は事業企画を兼務し、事業の側から組織を眺め直して、ようやく腑に落ちました。
速く動ける人を集めて、量で勝つというやり方は、市場の変化とともに、いつのまにか負債に変わっていたのです。けれども、目の前の事業に懸命で、私を含め誰もその事態をそう捉えられていませんでした。
問われるのは、会社が次の段階に入るときに、それまでの勝ちパターンを切り替えられるかどうかです。その職場は伸びていた時期に手を打てたのかもしれません。ですが、実行に移せませんでした。勢いが止まってから突きつけられる苦しさを、私はそのとき身をもって知りました。


ここまでの話には、「それはあなたが事業サイドを経験してきたからできる見立てで、人事一筋の人には難しいのではないか」という反論があるかもしれません。
事業から人事に移ってきた人間の目には、組織は「管理し、統制する対象」ではなく、「投資して、育てて増やす資産」に映ります。この見方は、事業の現場で身につきました。
ただ、その角度の視点がないと、組織負債を見極められないわけではありません。
事業出身の私が比較的気づきやすいのは、「この事業は今後こう変わっていくから、今のうちに組織をこう寄せておくべきだ」という、事業の先読みから逆算する類の兆しですが、人事キャリアを積んだ方は、「組織がこの規模になると、この制度は機能しなくなる」といった、制度そのものに内在するひずみに敏感です。組織が大きくなったときに制度のどこが壊れるかを見抜く感度では、私など到底及びません。入り口が違えば、見えるものが違うというだけのことです。
もう一つ、「構造は理解できるが、まだ困っていない経営陣や事業部長と危機感を揃えるのは、人事の努力だけでどうにかなる話ではない」という反論も想定されます。
業績がいいときに組織改善の合意をつくるのは、火消しの提案よりもはるかに難しい。困っていない相手に「危機感を持ってください」と迫っても響きません。だからこそ、危機感を煽るのではなく、「なぜいまやる必要があるのか」を示す力が問われます。

たとえば「エンゲージメントスコアが下がっています。上げませんか」という提案は、人事を主語にした話です。事業側からすれば「そんなことは知っている」で終わってしまう。事業の状況によっては、スコアが下がることを覚悟で腹をくくるべき局面もあるからです。
同じスコアでも、「いまの事業状況なら、ここまでは耐えられそうですか。この水準を割ると、他の組織ではこんなことが起き始めます」と事業の文脈で入れば、会話はまったく変わります。
先回りの提案は、まだ起きていないことへの備えですから、的中率は3割か4割でいい。むしろ百発百中になっていたら、それは問題が顕在化してから動いているだけなので、対応が遅すぎるのです。また、一度は響かなかった提案も無駄にはなりません。しばらくして事業部長から「最近これが気になっている」と相談が来たら、お蔵入りの資料をその時の状況に合わせて書き直して出せばいい。
提案が通らないとき、その理由を相手や構造の壁のせいにして終わらせたくはありません。通らないのは、人事がまだ「経営の言語」を持てていないからではないか。私自身への自戒を込めて、そう思っています。

事業と人事の連携というテーマは、5、6年前と比べれば増えてきました。ただ、人事がどれだけ努力しても、事業と組織の間にある断絶がすべて解消するわけではありません。事業側から必要とされていなければ、人事の取り組みは「投資」ではなく「コスト」として扱われてしまいます。私自身、マネーフォワードに入った当時、現場からは「とにかく採用さえしてくれればいい」という、条件付きの期待を持たれていましたが、採用の実績を積み重ねるなかで、少しずつ相談される範囲が広がっていきました。
人事が視点と役割を広げ、この持論のとおりに動けるようになると、経営や事業部長との会話が、火消しの相談から、次の成長に向けた投資の相談へと変わります。

そういう先回りできる人はどうすれば増えるのか。仮説を立てる技術なら、トレーニングで磨けます。最近はAIが壁打ち相手になってくれるので、一人でも質の高い仮説は立てやすくなりました。
難しいのは、姿勢です。目の前でトラブルが起きていれば、誰でも動けます。しかし、まだ何も問題が起きておらず「いまでなくてもいいか」と思えるような場面で、先回りの提案づくりに自分の時間と労力を割けるかどうか。その提案が実際に採用される保証も、自分の評価につながる保証もありません。しかも、そのための時間が特別に用意されているわけではなく、通常業務の合間にやることになります。
「そこまで自分の時間を犠牲にしてやる意味があるのか」と、聞かれることがあります。こうした行動を起こす際、身を削っている感覚があったら、続けられないと思います。私は、昔から、いいなと思うチームが勝つところを見たくて動いてきた人間なので、組織改善も「推し活」に近い感覚で取り組んでいます。好きでやっていますし、人に求めるものでもないと思っています。
ただ、そういう先回りの積み重ねは、3年くらい経つとはっきりと差が出ます。まっすぐ伸びているように見える事業も、途中の踊り場で誰かが本業の合間を縫って労力や時間を投じ、現場のリーダーたちが予防策を取り始めたから、そう見えているだけかもしれない。そういう人が、人事にも現場にも何人いるかで、会社の成長曲線は変わってきます。
私が目指したいのは、組織が投資の対象として語られる会社です。事業計画を議論するときに、その戦略をどんな組織で実行するのか、どの部門の人材を優先的に強化すべきかまでが、同じテーブルで話される。人事が呼ばれてから動くのではなく、最初からその議論の中にいる状態です。
それが当たり前になれば、持続的に成長できる会社は増える。私自身も、まずは自分のいまの持ち場で、一つずつ実践を積み重ねていきます。

(構成:樫本倫子、撮影:黒羽政士)






