一人ひとりのスキルを起点に仕事や育成を考える「スキルベース組織」への転換が進む今、マネジャーに求められるのは「部下のリスキリングの伴走者」としての姿勢だ。
これまで単なる個人の自己啓発として捉えられていたリスキリングは、欧米式の企業戦略と密接に結びつく「組織的な取り組み」へと進化している。社員のスキルを見える化し、本人のキャリア志向と会社の方向性を接続する。その鍵を握るのが、マネジャーの日常的な1on1だ。
この記事では、リスキリングの第一人者であるジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表の後藤宗明氏のインタビューから、マネジャーがいかにして部下の成長と会社の未来をつなぐ存在になれるかを探る。

後藤 宗明(ごとう むねあき)
一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事 SkyHive Technologies 日本代表
2021年、日本初のリスキリングに特化した非営利団体、ジャパン・リスキリング・イニシアチブを設立。現在日本全国にリスキリングの成果をもたらすべく、政府、自治体向けの政策提言および企業向けのリスキリング導入支援を行う。
目次
リスキリングにはマネジャーの介在が不可欠
──まず、最近のリスキリングの潮流をどう見ていますか。
今までのリスキリングは、いわば「リスキリング1.0」。本人の自主的な学びに依存する自己啓発に近いものでした。これが進化して、現在は「リスキリング2.0」の状況になりつつあります。海外の企業では、ジョブ型雇用と相まって、リスキリングは個人の努力から、スキルベースで人を配置する“組織戦略の一部”として組み込まれるようになっています。このようなスキルベース組織では、メンバーのスキルや志向に応じて次のキャリアへの橋渡しを行うことが、上司の役割として定着しつつあるんです。
たとえば、AI分野に挑戦したい社員がいれば、マネジャーはその希望を1on1の場で聞き取り、適切なスキル獲得のルートを提案します。そしてスキルテック(スキルの保有状況や学習進捗を可視化・分析できるツール)で部下のスキルを可視化し、社員が現在どのスキルを持ち、どのスキルが不足しているかを把握したうえで、希望部署との接続をマネジャーが支援するという仕組みです。これはもはや欧米企業では“当たり前”になりつつあります。
——ジョブ型の雇用がまだあまり行われていない日本で、スキルベース組織の考え方を取り入れるにあたってどのようなハードルがありますか。
例えば、海外では、HR部門に配置された人がHRBPになるためには、HR分野のさまざまな経験を積み、上司とともに「次に身につけるべきスキル」を考えながらキャリアを構築していくのが一般的です。しかし、日本では、職種をまたぐ横断的な配置転換もあり、マネジャーが部下の希望部署に必要なスキルについて詳しくないというケースも少なくありません。
日本の大企業では、若手の優秀なスタッフがどんどん辞めていくと嘆く声が聞こえてきます。退職の理由として、上が詰まっていて昇格のチャンスがないから転職するというケースもありますが、今いる部署とは違う仕事がしたいけれど上司の意向で異動させてもらえないというケースも比較的多く見られます。後者については、退職されるよりは別の部署で活躍してもらったほうが会社としてはいいはずです。
スキルベース組織では、上司は部下が希望するキャリアに向けた異動を積極的に支援することが役割として定められています。部下は自分のやりたい仕事に挑戦できるチャンスが増えるため、会社へのエンゲージメントや仕事への意欲が高まります。
——社員にリスキリングをさせると人材が流出してしまうと考える経営者やマネジャーもまだまだいます。
初期段階では新しい方針に反対する人材が流出してしまうこともあります。しかし、給料が上がったり、自分のやりたい仕事ができるようになれば、自社にとどまるようになります。
リスキリングにおけるマネジャーの役割は、部下のキャリア形成を支援していくことです。そのためには、継続的な1on1を通じて、部下のキャリア志向や仕事に対する意欲を正確に把握しておくことが重要です。
「本人の目的」と「会社の必要性」をつなぐカスタムメイドの支援
──では、実際にマネジャーが部下のリスキリングを促すアプローチについて探っていきましょう。たとえばハードウェアの販売会社がソフトウェア販売に切り替えるなど会社の方針が変わった場合、社員は新たなスキルを身につけなければ会社に居続けることが難しくなるので、リスキリングは進むでしょう。しかし、現状のスキルでも今は問題ないが、今後たとえばAIによって業務が代替される可能性のある分野に属する部下にリスキリングに取り組んでほしいとき、マネジャーはどのように促せばよいでしょうか。
本人の興味と会社としてリスキリングしてほしい方向性を結びつけ、ストーリーを立てて話していくことが大切です。たとえば、会社として「AI分野に注力していく」と方向性を打ち出したものの、社員があまり積極的でない場合。こうした状況では、会社側の思惑を押しつけるのではなく、社員の興味や意欲と会社が期待するリスキリングの方向性とを結びつけ、その社員が「自分ごと」として語れるストーリーを描けるどうかが問われます。リスキリングは、本人が自分ごと化できない限り、前に進まないからです。
──興味は人それぞれ異なるわけですから、マネジャーが一人ひとりに「リスキリング・ストーリー」を提案するということでしょうか。

はい。私は、一人ひとりに合わせてカスタムメイドのアプローチを取る必要があると考えています。もちろん、本人の関心と会社の必要性が短期的に完全に一致するとは限りません。ただ、「その方向性を応援しているよ」というメッセージを日々の中で発信することが大切です。
たとえば、「AIに興味がある」と話す部下に対して、「近々AIに関するこんな講演会があるよ」と伝えてあげるだけでも十分な後押しになります。
私の昔の部下の話をご紹介しましょう。彼女は当時、法務の仕事をしていましたが、「将来的には管理部門の取締役として、経営者の右腕のような存在になりたい」と話してくれました。管理部門の責任者を目指すなら、法務に加えて、経理・財務・人事などの知識も必要になります。私は人事領域の支援はできても、経理や財務の実務経験はなかったため、「外部の講座で勉強してみないか」と提案し、社外研修の機会を提供しました。彼女はその後も努力を重ね、今では超有名企業の管理部門の執行役員になっています。
——なるほど、本人のやる気とエンゲージメントが結びついた好例ですね。ところで、著書の中で「サンドボックス環境」の整備が必要だと述べられていました。サンドボックスとは、いわゆる本番ではない仮想的な練習場のことで、リスキリングで身に付けたスキルを試す場のことを指していますが、なぜサンドボックス環境がリスキリングには必要なのでしょうか。
リスキリングの定義の一つとして、単なる個人の「学び直し」ではなく、会社の将来的な戦略に沿ってスキルを獲得してもらうという観点があります。ですから、個人任せで勉強してもらうだけでは不十分で、会社として実務を通じた学びの場を設ける必要があります。
海外の企業では、本番環境ではなく、まずはお試し的にスキルを磨く場として“サンドボックス”環境を整備する例が増えています。これは、プロとして活躍する前にワンクッション置くことで、精神的なハードルを下げ、リスキリングへの挑戦をしやすくするための工夫です。
——安心して失敗できる環境が整備されているということですね。それはエンジニアリングの仕事だけの話でしょうか?
いえ、バックオフィスも含め、すべての部署に導入するのが望ましいでしょう。
——サンドボックス環境以外に、リスキリングのために取り入れるとよい仕組みはありますか。
日本企業でリスキリングを本格的に進めるなら、社内公募制度に加えて、希望する部署のミーティングに“見習い”として自由に参加できるような仕組みを整えるのもよいでしょう。
実際、Udemy社では、社員が希望すれば誰でも社内ミーティングに自由に出席できるというルールがあります。
優秀な人材を部署単位ではなく、会社全体で育てていくという視点が重要です。マネジャーは、「この人材を部署から手放したくない」ではなく、会社から流出させないにはどうすべきかという視点で考える必要があるのです。
ある超大手企業の社長が、年頭の挨拶や全社ミーティングの場で、3年間ずっと「リスキリングをしよう」と話しているそうです。その会社は今、資格を取得する人が非常に増えているそうです。意識付けのために、経営者がリスキリングに興味を持っていることを伝えるのは重要だと思います。
リスキリングがうまくいく会社の共通点
——リスキリングがうまくいく会社の共通点はありますか。
うまくいっている会社では、部門内にトレーニング専門のマネジャーが配置されているという傾向があります。これは、ハーバード・ビジネス・スクールの研究論文でも報告されています。
日本では、たとえば日揮グループが先進的な取り組みを行っています。部長職を三つの役割に分ける「管理職分業」という制度を導入し、そのうちの一つとして、人材育成やキャリア開発の役割を担う「CDM(キャリア・デベロップメント・マネジャー)」を部門に配置しています。このCDMが部門のリスキリング施策を統括しています。
リスキリングに本気で取り組むのであれば、専門性をもった人材をトレーニング専門の担当者として任命し、明確な責任をもたせる必要がある。そうしなければ、表面的な取り組みに終わってしまい、目に見える成果を出すのは難しいと感じています。
──なるほど。「トレーニング専門のマネジャー」になるには、どのような条件が求められるのでしょうか。

私は、自分自身がリスキリングをした経験をもっていることが重要だと考えています。先ほどのハーバードの論文にもありましたが、マネジャー自身がリスキリングを体験していなければ、その姿勢や意味を部下に伝えることができません。
逆に、自分の興味のあるキャリアに向けてリスキリングをした経験があると、その過程で得られるエッセンスが分かってきます。どういう時につまずくか、何にモチベーションを感じるか、どんな支援があると前に進めるかといったことが、実感として語れるようになるのです。
私自身、今でこそリスキリングについて語れるようになりましたが、2010年代はまさにリスキリングの連続でした。いくつもの挫折を経験しながら、その都度学び直し、乗り越えてきたのです。
──リスキリングがうまくいかない会社では、マネジャーがリスキリングを経験していない、ということなのでしょうか?
その通りですが、そもそもリスキリングを経験したマネジャー自体が絶対的に少ないのが現状です。
1on1はリスキリングの“エンジン”になる
──部下のリスキリングに際して、先ほど後藤さんは、マネジャーは日常の1on1を通じて部下のキャリア志向などを把握しておくべきだとおっしゃっていました。具体的には、どのようなアプローチが有効だと考えていらっしゃいますか。
最低限1年に一度は、部下とじっくりとキャリアについて語り合う場を設けることが重要だと思います。「今後どういうキャリアを描きたいか」「将来どうなりたいか」といったテーマを深く掘り下げ、そこから逆算して日々の1on1を設計していくようなイメージです。
──とはいえ、将来のことを話したがらない部下もいるのではないでしょうか。無理に聞こうとすると、ハラスメントだと受け取られる可能性もありますよね。
まず大前提として、リスキリングは業務の一部です。将来どういうスキルが必要になるのかを把握し、それに向けて学習するのは会社が社員に期待する業務の一環であり、それをヒアリングするのもマネジャーの仕事です。この点は、曖昧にせず明確に伝える必要があります。
ただし、個々の社員がどこまで自己開示したいかには個人差がありますし、マネジャーとの相性もあるのが現実です。もし部下が「この上司には話したくない」と感じているようであれば、メンターや別部署のマネジャーとの“斜めの1on1”を活用する方法もあります。
リスキリングを支援するうえで、部下の思いを引き出す努力は欠かせません。その成否は、マネジャーの感受性や信頼関係づくりにもかかっているのです。
——マネジャーがリスキリングを支援し、スキルベース組織への転換を進めていくと、組織はどのような姿に変化していくのでしょうか。
スキルが共通言語になることで、社員一人ひとりの成長が加速し、組織全体が学び続ける文化に変化します。
これは、私がある欧州企業の方にうかがった話です。「スキルベース組織を目指すうえで、最終的なゴールは何ですか?」と尋ねたところ、「従業員同士が、お互いのスキルについて日常的に会話できることです」と答えました。
「○○さんはこんなスキルがあるから、次はこういう仕事を任せてみよう」といった具合に、スキルそのものが会話のテーマになっている状態です。これにより、お互いの強みを認め合い、励まし合う文化が生まれます。
現在の日本企業では、職種単位の会話が中心ですが、今後は職種ではなくスキルが共通言語になる時代が来ると言われています。
私はスキルの会話を増やすための最も有効な場が1on1だと考えています。マネジャーには、「スキルを育てる対話」の場として、1on1をもっと意識的に活用してほしいと思っています。
ります。その間に自身の役割の変化と向き合い、できるだけ早い段階でリスキリングに取り組むべきです。
リスキリングに前向きな方には、組織の学習環境整備を主導していただきたい。そのような役割を担える人材が、今後、会社の中でチェンジメーカーになっていくはずです。
📕あわせて読みたい
「『学ばない上司』は部下に捨てられる。管理職のリスキリング戦略」
⇨部下には「学べ」と言うのに、自分は学んでいない——そんなマネジャーは部下に見捨てられる時代が来ている!? 後藤さんインタビューの続編では、リスキリングで売上を7割も変えた中小企業の衝撃事例や、「学ばない上司」が組織に与える深刻な影響を解説します。