1on1が変える医療現場 ── 北大病院・放射線部が挑む、組織風土改革
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医療現場の多忙さが深刻化する今日、北海道大学病院放射線部が新たな挑戦を始めています。60人を超える診療放射線技師を擁する同部門では、部門内のコミュニケーションの希薄化が医療安全上のリスク要因ではないかと考えていました。
この課題に対し、2022年に診療放射線技師長(以下、技師長)に就任した孫田惠一さんは、組織風土改革の一環として一般企業で実績のある「1on1」の導入を決断。インシデントリスクの軽減と部員のワークエンゲージメントの向上を目指しています。
多忙な医療現場で始まったこの取り組みは、組織にどのような変化をもたらしているのか。孫田技師長と2人の副技師長に現状を聞きました。
北海道大学病院 放射線部
診療放射線技師長 孫田惠一さん
副診療放射線技師長 石坂欣也さん
副診療放射線技師長 堀江達則さん
診療放射線技師長 孫田惠一さん
Q:医療現場特有の課題についてうかがいます。孫田先生の部門が直面している具体的な課題をお聞かせいただけますか。
医療安全とコミュニケーション不足の関係性
当院放射線部は60人を超える放射線技師が所属し、X線撮影、CT、MR、核医学、放射線治療など、各モダリティの専門チームで構成されています。
技師は基本的に一人一台の装置を担当するため、協働作業の機会は限られています。さらに夜勤や祝日勤務といった勤務体系も相まって、同じ部門内であってもメンバー同士でじっくりコミュニケーションを取る機会はほとんどありません。部門全体においても、業績評価を目的とした面談以外に継続的な意思疎通の場は設けられていませんでした。
このようなコミュニケーション不足は、とりわけ医療安全の面で看過できない課題となっています。例えば撮影部位の左右の誤認や、胸部の撮影指示に対して誤って腹部を撮影してしまうミスなど、本来ならばダブルチェックで防げるはずのインシデントが発生していたのです。
状況を改善するには、技師間の実質的なコミュニケーションを増やす必要がある。そのような問題意識を持っていた矢先、コロナ禍により状況は一層厳しさを増しました。感染対策の観点から会議の多くがオンラインに移行し、踏み込んだ対話の機会は更に減少したのです。
Q:コロナ禍の組織運営において、どのような対応策を講じられましたか。
ワークエンゲージメント向上への着目
コロナ禍における組織改革として、ワークエンゲージメントの向上を最重要課題に位置付けました。背景には、現場の多忙さの深刻化による部員のモチベーション低下への懸念があります。
医師の労働時間上限規制に伴い、静脈注射など一部の医療行為が放射線技師に移管され、私たちの業務量は確実に増加しています。一方で、部門内での育児休暇取得の増加などにより人員リソースは逼迫傾向にあります。そのような環境下で、技師間の対話不足によるインシデントリスクも高まっていました。
こうした状況を打開すべく、様々な施策を展開しています。例えば、評価制度を大きく見直し、従来の上層部での評価から360度評価へと変更。その結果を必ず開示する形としました。また研究業績を数値化して評価する仕組みも導入し、可能な範囲で賞与への反映も図っています。
こうした組織改革の一環として1on1も取り入れました。ある文献調査を通じて、1on1の実施とワークエンゲージメントの向上に相関関係があることを示すデータに出会い、科学的な裏付けのある手法として関心を持ったのがきっかけです。
Q:医療は特殊な業界です。1on1の導入において何かしらハードルはありましたか?
時間創出と費用対効果の両立
費用対効果の検討が最初の課題でした。昨今、病院経営は非常に厳しい状況にあります。1on1支援ツールの導入は直接的な収益には結びつきません。しかし、あえてコストをかけてツールを導入することで、組織としてコミュニケーション改善に本気で取り組む姿勢を示したいと考えました。「なぜ放射線部だけで導入するのか」という声が出てもおかしくない状況でしたが、上長を粘り強く説得し、まずは私たちの部門から着手することができました。
導入後の大きな課題は時間の確保です。先ほど申し上げたとおり、現場の技師は朝から夕方まで撮影業務に従事しています。また夜勤や祝日勤務もあるため、双方の予定を合わせることは容易ではありません。部門責任者と副技師長が交互に1on1を担当する形で運用していますが、導入当初に掲げた「3カ月に1度の実施」を遂行するのは難しく、現場が努力しながら現実的な進め方を模索しています。
Q:1on1の実施に際して、マネジャー層にはどのような姿勢で向き合ってほしいと伝えましたか?
対話文化の醸成を第一に
部員たちと普段からコミュニケーションが取れていると感じていても、その認識が絶対的に正しいと思い込まないでほしいと伝えました。実際、一部の部門責任者からは「日常的にコミュニケーションが取れていると思っていた部員の思わぬ一面に触れて発見があった」と報告がありました。
ある意味、半強制的に対話の機会を設けたことで、マネジャー陣はこれまで表面化していなかった各部員の深い考えに触れることができているのではないかと思います。

Q:導入から半年以上が経ちましたが、手応えはいかがでしょうか?
対話文化の定着から研究活性化へ
今のところ大きな変化は見られませんが、それは想定の範囲内です。今回の目的は1on1を通じて対話の文化を根付かせることにあり、その醸成は少しずつ進んでいるように感じています。
組織が生まれ変わっていく中で、研究活動が活性化していくことにも期待を寄せています。当院のような大学病院では、研究も重要な使命です。一方で、研究に取り組む上での不安や困難を抱える部員も少なくありません。1on1という場で研究に関する悩みを丁寧に聞き、上司が適切なサポートを提供することで、部員の研究マインドを育んでいきたい。そうした対話を通じて、より多くの部員が自発的に学会発表や論文執筆に取り組むような組織を目指したいと考えています。
副診療放射線技師長 石坂欣也さん
Q:実際に1on1に取り組んでみての所感を教えてください。
新たな対話がもたらす気づき
私は自身の直轄部門を含む3部門と1on1を実施しています。今回の取り組みを通じて、これまでほとんど話す機会がなかった部門のメンバーと定期的にコミュニケーションを取れるようになったことは大きな変化と感じます。
組織的にも徐々に変化は生まれていると思います。例えば当院は男性が多いゆえに、女性メンバーは悩みがあっても言いづらい環境にありましたが、1on1によって安心して話せる場ができました。実際女性メンバーとの1on1で、そのような相談を受けたこともあります。
Q:1on1の運用方法は現場で模索中とうかがいましたが、現在はいかがでしょうか?
現場の実態に即した柔軟な対応を進めている
当初は3カ月に1度の実施を目指したものの、メンバーが多すぎるため、現実的には厳しい状況でした。そこで、各部門の責任者と相談し、私が3カ月に一度1on1を行い、次の3カ月は部門責任者が1on1を行う、という形で進めることにしました。
メンバーからすると、1年間に1on1を6回実施することになります。技師長と2回、副技師長と2回、各部門責任者と2回という内訳です。これが正解かどうかはわかりませんが、マネジメント側とメンバー側の双方の負担を考え、まずはこの形で進めることにしました。
Q:対話の質を高めるために、どのような工夫をされていますか?
深い対話を導く場づくり
思っていることがありながら皆がいる場では言いづらいタイプの人はたくさんいます。そのように感じていそうなメンバーについては、「普段こんなことを思ってたりしない?」と1on1の場で水を向けて、本音を話しやすい雰囲気づくりに努めています。
他方、普段から一緒に働いているメンバーについては、その人の考え方や価値観をある程度理解できています。しかし、これまではその理解を深める機会がありませんでした。今では1on1で定期的な対話の場ができたことで、「この人はこういうことを考えているのではないか」という仮説を部員に投げかけ、その人の考えを自らの言葉で語ってもらえるようになりました。
Q:1on1という取り組みをどのように評価していますか。
人前では語れない本音を発散できることに価値がある
本音を語れる場を用意するのは有意義なことだと思います。私たちが撮影業務を行う場には常時10人くらいの技師が働いているため、深い話はしづらいものです。そのような環境下で押さえ込んだ気持ちを発散できることに、1on1という取り組みの価値があるように思います。
副診療放射線技師長 堀江達則さん
Q:1on1導入時の印象と、実際に運用してみての手応えをお聞かせください
不安から価値の発見へ
他のスタッフと同じように診療業務に携わりながらマネジメントを担当している立場から申し上げますと、導入時は率直に「無理かもしれない」と感じました。
実際に走り始めてみると、スケジュール調整はやはり簡単ではありません。他方で、「やってよかった」という声が想像以上に多く聞こえてきました。部員が本音を打ち明ける姿を見て、日常的なコミュニケーションだけでは拾いきれない声があることを実感しました。

Q:具体的にどのような相談が寄せられるのでしょうか?
人前では話しづらいキャリアの相談など
例えばキャリアや評価に関する相談です。オープンスペースだと切り出しづらいものですが、1on1なら「自分は今どう評価されているのか」「管理職になるには何が不足しているのか」といったデリケートな話題も落ち着いて話すことができます。
また、研究活動に関する話題も増えています。「研究に取り組みたいのだけど、どう進めたらいいかわからない」「こういうところで困っている」といった相談です。最初の一歩が踏み出せないため研究が止まってしまうことは少なくありません。1対1のコミュニケーションで早めに障壁を取り除くことには大きな意義を感じています。
Q:1on1を継続する上での工夫についてお聞かせください。
メモを取らずに全力で対話に集中する
対話の時間は当初30分を目安にしていましたが、実際には45分から1時間ほどかかることも珍しくありません。30分を過ぎたあたりから、部下の側もうまく話せるようになり、対話が深まるためです。面談中は極力メモを取らずに相手の話に集中したいので、「Kakeai」の文字起こしサービスは非常に役立っています。
Q:1on1を続けることで、部員の皆様にどのような変化が起きることを期待していますか?
期待を込めた部員への働きかけ
部員には主に二つのことを期待しています。一つは、仕事へのモチベーションの向上。もう一つは、難易度の高い業務にも積極果敢に取り組むチャレンジ精神の獲得です。各部員が意欲的に仕事に向き合うことで、当院全体のレベルが底上げされます。私との対話を通じて、部員が一歩前に踏み出すきっかけを掴んでくれたら、それほど嬉しいことはありません。
※上記事例に記載された内容は、2025年2月取材当時のものです。閲覧時点では変更されている可能性があります。ご了承ください。